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事務局の独り言【2010年4月】
このコーナーは2009年12月からスタートしました。開始以来毎日更新しています!



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No,149  #2010年04月30日(金

総会後の懇親会4月28日の午後6時から、平成22年度サークル「山鳩」総会が山鳩会館で開催されました。野口会長の挨拶に続き、平成21年度事業報告並びに決算の報告、平成22年度事業計画並びに予算が承認され総会は終了しました。そして、昨年から始めている「地域づくり研修会」として、由利本荘市企画調整部地域振興課長の榊豊昭氏をお招きし、平成22年度の由利本荘市のまちづくり関右から2番目…講師の榊課長連事業について説明を受けました。地域振興課は今年度から新設された課で、広大な面積の由利本荘市をきめ細やかに対応するための役割を担っていると思いました。定住自立圏構想や地域づくり推進事業、活性化事業、地域協議会等を詳細に説明して頂きました。この中の地域づくり推進事業では、旧町単位に300万円が平等に配分されており、サークル「山鳩」でも三船敏郎フォーラムの開催が採択されています。このフォーラムは平成18・19年の2カ年続けて開催しましたが、最低ゲスト?でも30万円程度の予算を必要とすることから、補助事業として採択されないと開催できない状況でしたので、今年から新規事業として登場した地域づくり推進事業は「渡りに船」と思い申請したところ、採択されたわけです。この事業は市全体で92の事業が予定されており、最低5万円から最高で100万円の助成を受けて、以前から地域で行われている事業のグレードアップや新規のイベントなどに使用されることになります。いずれにしても税金が使われることに変わりはありませんので、継続性があり地域の活性化に向けた取り組みが求められます。
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No,148  #2010年04月29日(

清水渕峡ゴールデンウィークがスタートし、長い人で11連休となる今年の大型連休ですが、私の場合は、田堀りや水路の泥上げ、堰普請などで大半が終わってしまいます。どっかに出かけたいのですが、田圃がある以上はハウスも見なければなりませんので、なかなか難しい状態です。そんな時は、地元にある景勝地や施設等を見て回るのもいいのかもしれません。写真1は、笹子地区にある「清松ノ木トンネル水渕峡」です。紅葉の時期が一番ですが、春の雪解け水が流れるこの時期も、それなりにいいと思いますが・・・。写真2は松ノ木トンネルです。国道108号で旧雄勝町に抜けるトンネルとして、平成8年に開通しました。最初のトンネルが赤倉トンネルで、2番目が西久米トンネル、そして3番目として松ノ木トンネルがあり、一番長く1,744メートルの距離があります。先日、このトンネルの中で初めての死亡事故がありました。トンネル内は危険が潜んでいますので、注意が必要です。そして写真3松ノ木トンネル付近からの鳥海山は、松ノ木トンネル付近からの鳥海山です。昨日の独り言にも書きましたが、なかなか良いと思いませんか?残念ながら、この写真は私が撮ったのではなくHPからコピーしたものですが、笹子地区から見える鳥海山は珍しく、後は長畑集落から見えるぐらいではないでしょうか?ちまたの人々は、ゴールデンウィークの真っ最中で楽しんでいることでしょうが、私は地元の観光地等でも散策しながら乗り切って行きたいものです。
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No,147  #2010年04月28日(水)

猿倉集落からの鳥海山久しぶりに、天気のいい温かい日が続いたので、早朝に撮影に出かけました。鳥海山がきれいに撮影できるのは、やはり早朝に限りますので、鳥海山の麓に住んでいる私には、有り難い限りです。鳥海山を狙って撮影に来る方は後を絶ちませんが、地元でないと分からないビューポイントがたくさんあり、特に鳥海地域からの鳥海山は富士山のように綺麗ですので、地元の方に訪ねたら教えてく市道亀ケ森線からの鳥海山れると思います。私の場合は、基本的に直根地区に行くようにしています。猿倉集落からの鳥海山(1)は一般的なので、皆さんご存じかと思いますが、その集落の上部にホテル・フォレスタ鳥海に向かう市道亀ケ森線があり、山が開けて鳥海山が間近に見える橋(2)があります。ここも比較的ご存じの方が多いと思いますが、大川端からの鳥海山(3)は、地元の方でないと分からない場所かと思います。道が大川端集落からの鳥海山狭いので、車で行くには十分に気をつけないと困難ですが、早朝だったら通る車も無いので安心です。鳥海山の撮影に建物を入れるのを嫌う方もいますが、私の場合は地域を特定することができるし、鳥海地域のPRにもなるので入れるようにしています。川内地域からの鳥海山も、いいポイントがありますが、残念ながら笹子地区だと鳥海山の頭の部分しか見えません。それでも、松の木トンネル付近からの鳥海山も、なかなかいいと思っていますので、後で紹介したいと思います。まずは、自分の足で探して見つける楽しさを見いだすのも、ポイントなのかもしれませんね。
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No,146  #2010年04月27日(火)

30周年記念祝賀会でのブロンズの演奏サークル「山鳩」のHPを立ち上げてから、昨日で半年が過ぎました。本当にアッという間のことで、少々驚いています。10月18日に、サークル「山鳩」の設立30周年記念式典並びに記念祝賀会を開催したのをきっかけに、S君からHPの作成に全面的な協力をいただき、約1週間後の26日に無料にて開設されました。30年間のサークル活動の紹介をメインにし、鳥海と三船敏郎氏の関係などを掲載しましたが、アクセス数が伸びなかったのでS君と相談し、毎日更新することを目標に始めたのが「事務局の独り言」でした。どんな小さなことでもいいから、独り言滝田監督との交流会で特別出演のブラボー中谷氏のようなつぶやきを読んで頂けたらと思い、始めたのが12月3日でした。途中、上京する機会が二度あり断念しようとしたのですが、S君の絶対的なバックアップにより現在まで続いています。今は、行けるところまで行こうと考えていますが、サークルのメンバーからも原稿を出していただき、交代制でできたら私も少しは助かるのですが・・・。だからといって、決してこのコーナーが嫌だからではありません。私だけの原稿だと、読んでいただいている皆さんから飽きられてしまい、山鳩のHPから去られてしまいそうだからです。だれしも、書く以上は多くの皆さんから読んでいただきたいのは当然のことであり、そのことが執筆者の励みになることは必然的なことなのです。この互理楽の足あとを制作する「はたちの会」の皆さん6カ月間でのサークル活動は、30周年記念祝賀会にブロンズを招いたのを皮切りに、11月3日に「滝田洋二郎監督を囲む会」をJA婦人部と共催、11月28日からの毎週土曜日は、「知的障害者(児)との交流事業」を開催し「はたちの会」の皆さんと知り合い、クルミの殻を杉板に貼り付けた足裏マッサージ「互理楽の足あと」を完成させました。12月からは中学3年生を対象にした「高校受験対策事業」を実施し、2月25日には県由利地域振興局長より「元気な由利の郷づくり表彰」を受賞、3月13日には「ブラボー中谷チャリティマジックショー」を開催し、山鳩会館を満員にして楽しい時間を過ごしました。平成22年度も1カ月を終わろうとしていますが、明日28日がサークル「山鳩」の総会です。今年度も、よろしくお願いいたします。
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No,145  #2010年04月26日(月)

全町クリーンアップ上伏見町内会24日は、雪が降る最悪の天気となりましたが、全町クリーンアップが行われ上伏見町内会に参加しました。集合場所の鳥海総合支所に、午前6時に集まった町内会員は約30名で、子供たちの姿も数名見られました。町内会長さんからの挨拶と説明を受けてから2班に分かれ、ゴミ袋を片手に持って開始しました。その時点では、曇り空だったので軽装で出発したのですが、10分も経たないうゴミを分別ちに雨が降り出してきました。戻るわけにもいかず、皆さんそのまま続けていたのですが、半分もすぎてからだんだん雨脚が強くなってきて、それから雪に変わってしまいました。4月下旬に霰(あられ)や雹(ひょう)、霙(みぞれ)は降ることはありますが、本格的な雪が降ることは珍しいと思いました。4月になっても気温が上がらず、育苗ハウスでは連日ローソクに火をつけて加温していましたが、雪になるとは・・・。この低温は、秋田県に限ったことでは無いようで、農産物が育たないため野菜集合場所でゴミの分別は高騰しているようです。自然を相手にしている農業は、天気やちょっとした気温の変化で大きな影響を受けます。消費者はワガママですから、米は外国でも良いから安い方がいいとか、野菜は安全で安心なものがいいとか言いますが、農業は自然を相手にしている以上、防げない事態が発生することがあります。平成5年の記録的な冷夏による米不足をご存じでしょうか?国産の米が不足し、海外からの輸入で急場をしのいだあの年に、今年は似ているそうです。話しはそれてしまいましたが、寒い中びしょびしょになりながらも、クリーンアップは無事終了し自宅に飛んで帰って風呂に入りました。
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No,144  #2010年04月25日(

鮎川小学校全景昨日は、本荘に行く用事があって向かう途中、旧由利町の鮎川小学校に立ち寄り、「第2回よみがえる廃校全国サミット」を覗いてみました。このサミットは、廃校の有効利用について話し合うなど、1都9県から20以上の団体が参加して行われ、出席者からは「職人が手作業で建てた風情あ鮎川小学校校舎る木造校舎を保存していこう」などの意見が出たようでした。旧校舎は木造平屋3棟と体育館で、1954年に鮎川中学校として建設された当時の姿を残しています。70年に小学校に転用されたましたが、2004年3月の統合により廃校になりました。この建物を保鮎川小学校玄関存しようと、地元住民らが06年から定期的にミニコンサートを開くなどしてきましたが、継続的な利用方法はまだ決まっていないようです。旧校舎の活用を模索し、サミットを主催した「鮎の風実行委員会」の小沢茂会長は「出席者の試みを参考に、廃校を地域の財産として生かす方法を探していきたい」と語っていました。この校舎は、鮎川地区の住民らによって施設の維持管理などが行われており、校舎保存のために力を合わせて頑張っています。自分が卒業した校舎を残したいと思う気持ちは、地域の団結力を強め、今後も、色んな活動をとおして、保存のための事業が行われていくことでしょう。
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No,143  #2010年04月24日(

初春の法体の滝今日も、百宅集落にある「法体の滝」について書きたいと思います。1960年12月17日、秋田県の名勝および天然記念物の第1号に指定されている「法体の滝」は、百宅集落から車で3分程度のところあります。元禄10年(1697年)の絵図には「ほつたいしの滝」と記されているそうで、法体の空海が百宅村を訪れた際に不動明王が現れ、空海が滝に拝礼したことが「法体の滝」の語源と言われているようです。この滝の特徴は、滝幅が3メートルから3法体の滝とレストハウス0メートルに末広がりになっていることと、鳥海山からの雪解け水によってできているのもかかわらず、鳥海山を向いて流れ落ちていることです。そして、滝壺の近くまで車で行けることで、駐車場から歩いて5分程度で着いてしまいます。滝といえば、崖を下っていったり山を登ったりしなければ行けないイメージがありますが、この滝はお年寄りでも楽に行けることができるのです。昨年公開された「釣りキチ三平」のロケ地としても知られていますが、あのシーンでは山奥にあ初春のせせらぎる夜泣谷として紹介されていますので、こんなに簡単に行ける場所だとは思わないでしょう。この滝は、1の滝が13メートル、2の滝が2.4メートル、3の滝が42メートルの落差をもつ3つの滝からなり、3,000平方メートルの滝壺と大小無数の甌穴群が見所となっています。橋を渡って上流部に行けば、撮影ポイントも整備されていますので記念写真が簡単に撮れます。法体園地内の「レストハウスすえひろ」では、食事もできますし宴会も可能です。雪解け水によって流れる子吉川源流は、きれいなせせらぎとなって日本海へ流れていきます。いつまでも大切にし、きれいな川のままに・・・。

※ 昨日、道路の除雪作業が終わり「法体の滝」への通行が可能になりました。
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No,142  #2010年04月23日(金)

鳥海ダム完成予想図昨日は百宅集落のことを書きましたが、この集落にダム建設の話しが持ち上がったのが昭和45年ですから、もう40年になりました。鳥海ダムは百宅集落を水没させる計画で、秋田県が昭和45年から予備調査を始め、昭和63年から国の事業として建設省(現在の国土交通省)が調査を引き継ぎました。その後、平成5年4月には鳥旧本荘市の水害の航空写真海ダム調査事務所を開所し、実施計画調査を開始・継続して現在に至っているようです。鳥海山に降った雪は、春になれば水となって子吉川に流れて来ますが、この貴重な水を鳥海ダムによって堰き止め、一定量の水を放流することで水涸れを防止し、豪雨の際の水害を防ぐ役割を担っています。旧本荘市の河口部では、子吉川の水位が下がると海水が逆流し、塩害が発生し昨年実施した山鳩のダム研修会ているようです。また、旧由利町では子吉川の水を汲み上げて浄化し飲料水として使用していますし、農業用水も子吉川に大規模な頭首工を設置して利用しています。以前、旧由利町の方に鳥海ダムの話しをしたら「由利町には関係のない話だ」と言われたことがありました。実は、一番必要としているのは旧由利町や本荘市であって、百宅集落の方々には別に無くても困らないのです。ただ、補償費や移転費の話しだけが一人歩きし、百宅集落の方々が鳥海ダムを必要としているように写っているのかもしれません。豪雪地帯で暮らし、鳥海ダム建設で左右されている百宅集落の皆さんは、下流域の皆さんのために苦労を強いられているのかもしれません。
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No,141  #2010年04月22日(木)

百宅集落の遅い春4月とはいえ、寒い日が続いています。稲の苗を育てるハウスでは、暖を取るために火を焚いているものも見えます。こんなに寒い日が続くのも、雪が少なかったせいなのでしょうか?降るべきときに降らないと、その後の天気に影響がありそうで怖かったのですが、今のところ心配していたことが当たっています。今シーズンは、自宅の屋根の雪下ろしを1回もしないで済みましたので、多いときは2回も降ろしていたのですから楽をした冬だったのです春を告げる福寿草の群生が、「そのツケがやっぱり来たのか」という感じです。百宅集落では、未だに50センチを超える積雪がありますが、5月の上旬には種まきを済ませハウス内で育苗をしています。春が遅い分、早めに育苗をして田圃で育てる期間を多くとって、多収穫を目指しているようです。由利本荘市の中で一番遅く春が来る百宅集落の方々は、他地域の農家に負けないように努力を重ね農業に取り組んでいます。その百宅集落では、まやっと咲き始めた梅の木だ福寿草が咲いていませんが、吉谷地集落を通ったとき福寿草の群生を発見しました。鳥海山に向かって咲いている福寿草は、鮮やか黄色の花を咲かせながら大地を占領していました。そして、鳥海地域の中心地である私が住んでいる伏見集落では、やっと梅の花が咲き始めました。同じ鳥海地域でも、こんなに違うわけで、由利本荘市になると中心地の本荘では桜が咲き初めています。百宅集落には雪があるのに、本荘では田堀が始まっています。合併して5周年となった由利本荘市ですが、旧1市7町がお互いを認め合いながら理解できるのは、まだまだ多くの時間とエネルギーが必要です。
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No,140  #2010年04月21日(水)

猿倉人形芝居鳥海地域には多くの伝統芸能がありますが、今回は「猿倉人形芝居」を紹介したいと思います。秋田県指定無形民族文化財に指定されている「猿倉人形芝居」は、創設者である池田与八の出身地名をとって「百宅(ももやけ)人形」(地元では与八人形とも呼ばれていました)と呼ばれていました。その後、真坂藤吉(猿倉出身)と丸田今朝造(天神出身)を弟子に得て、与八の人形操作、藤吉の囃し方、今朝造の脚本と、それぞれの才能を発揮し、人形芝居として完成期を迎え広く興行するようにました。弟子も増え、明治30年半ば頃には3猿倉人形芝居人合議の上、各自独立して一座を構え巡業に出るようになりました。与八は主に東北、北海道を回り、今朝造は全国的に興行したのに対し、藤吉は全国興行も行いましたが秋田県内をくまなく回り、観衆より「猿倉人形」と親しまれ、創設者池田与八の「百宅人形」の知名度を超えて、秋田県の「猿倉人形芝居」として県内はもちろんのこと、全国的にも知られるようになりました。現在は、旧本荘市の「木内勇吉一座」、「吉田千代勝一座」(旧合川町)、鈴木栄太郎一座」(羽後鳥海荘前の猿倉人形ブロンズ像町)の三座が、秋田県無形民族文化財に指定されています。鳥海地域でも10年ほど前までは、佐藤裕さん(下直根)夫妻が伝承していたのですが、裕さんが亡くなってからは残念ながら鳥海地域での継承は途絶えています。「猿倉人形芝居」を継承しても、仕事としては成り立ちませんので、伝統を守るには熱意と金が重要になります。不景気な今だからこそ、この伝統を復活させるチャンスではないかと思っています。緊急雇用の補助金を活用し、伝統芸能を継承する熱意のある若い方々を育成してみてはいかがでしょうか?
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No,139  #2010年04月20日(火)

末廣ラーメン店舗農業を営んでいる我が家にとって、ご飯を食べるのは当然のことであって、お昼も弁当を持参して食べています。時々、仕事の関係で外食するときは、ご飯以外を食べたくなるのは私だけでしょうか?ご飯は、家でいつも食べているので、外食ぐらいはラーメンを食べるようにしています。一番好きなのは本荘の清吉ですが、御門町の店が閉末廣ラーメン店内じてからは、本店のラーメンを食べています。醤油味しか食べていませんが、あっさり系の昔ながらの中華ソバで、トショリニク(年をとった鶏の肉)が絶妙に良い味を出しています。秋田に行けば「大江戸」「荒磯」のラーメンを食べますが、今回は「末廣中華ソバ」を紹介したいと思います。秋田市役所の隣にあった旧NHK跡地の近くにありますが、24時間営業をしているのでいつでも食べることができます。ただし、カウンターのみ10席程度しかありませんし、末廣ラーメン!駐車場もありませんので注意が必要です。このソバは、昭和13年に京都駅前に誕生した屋台風中華ソバ屋「新福菜館」がルーツで、この味に惚れ込んだ先代が「新福菜館本店」のご夫妻のご厚意により、その製法の伝授を受けたことから始まりました。その後、雪国に合った味の改良に取り組み現在の末廣中華ソバが出来上がったようです。初めて食べたときは、こってりしていて口に合わないと思ったのですが、時々行くようになって慣れたのか、コクが感じられるようになったのか、少しはまりつつあります。チャーシューが大量に入りますし、ネギもお好みに合わせて自由に入れることができます。秋田に行った際は、是非一度お立ち寄りください。
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No,138  #2010年04月19日(月

西滝沢水辺プラザ全景昨日の午後から本荘に行く機会があり、途中に完成した旧由利町の「西滝沢水辺プラザ交流施設」を覗いてみました。前日の17日は、オープンセレモニーとしてテープカットや由利中吹奏楽部のの演奏、超人ネイガーのステージショーなどが行われ、多くの地元住民が楽しんだようです。この施設は、国土交通省が子吉川の河川敷に整備した水辺プラザとほぼ一体化した「川の駅」の機能も果たし、川に親し水辺プラザ展示物むエリアの拠点ともなっています。全国には131カ所の水辺プラザがありますが、秋田県では西滝沢だけですので、川の駅としても第1号になります。この日の午後は、天気は良くなってきましたが寒くて外で食べるにはきつかったので、食堂として使用している旧西滝沢小学校の図書館で、100円のオムレツと300円のうどん、30円の煮玉子を二個、50円の玉コンを食べました。帰り際には、併設されている直売所で100円のストックと100円の手作りケーキ、100円の手作りクッキーを買水辺プラザの珍しいポストいました。定休日は月曜日で、それ以外は営業しているようなので、鳥海から本荘に行く際の中間地点でもあり、売っている物も安いのでちょくちょく利用したいと思いました。昼食を食べた後は、施設の広い畳の部屋で、昼寝ができたら最高だと思いました。地元住民が「西滝沢子ども水辺協議会」を設立し、長い間、西滝沢小学校跡地の利活用を協議し、いろんなイベントを企画してきた結果が、このような施設の建設に結びつきました。今後は、この施設をいかに多くの方々に利用して頂き、有効活用が図れるのかが問われることになりそうです。皆さんに愛される施設となることを期待しています。
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No,137  #2010年04月18日(

軽トラへの苗土の積み込み昨日の早朝から降り続いた雪は、山や田圃が白くなるほどになりました。それでも、予定していた水稲の種まきは実施しなければならず、小屋の前にシートをかけて雪がかからないように配慮して、8時から作業を開始しました。メンバーは、私と妻、母、長男の嫁、従兄弟が二人の合計6人で実施し、出来上がり次第軽トラに積み込んでビニールハウスまで運搬します。運搬された箱苗は、ハウスの中に一輪車で運び、整地された土の上に並べられて行きます。種まきは機械化されていますので、下土が入っている苗箱に水がかけられ、種がまかれ、その上に土をかける作業が一気にできますので、380枚の種まきは2時間程度で終了しラクチンです。しかし、その後の作業は人力による作業となり、重労働となります。特にハウス内の作業は、気温が上が種まき作業るため暑い中で、大粒の汗を流しながらのきつい作業となります。今年は、雪が降るほどの寒い日となったため、ハウス内も丁度良いぐらいの気温となり、快適な中での作業となりました。雪が降る中での種まきという初めての経験でしたが、ハウス内の作業だけは有り難たい天気でした。これから約1カ月間、苗の管理が行われ、来月の中旬頃に田植えとなります。その前には、水路の泥上げが行われますが、今年は水路の整備を実施したので(NO、121)少し楽になります。そして田堀り、代掻き作業があり、除草剤の散布や農薬の散布、畦の草刈り作業と続き、秋の収穫を迎えます。米は八十八と書きますが、88の手がかかるからだと聞いています。ご飯を食べるとき、今一度感謝の気持ちを持たねば・・・。

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No,136  #2010年04月17日(

アクセス10000昨日、ついにアクセス数が10000回を突破しました。10月26日にサークル「山鳩」のHPを開設以来、173日目での達成は、一日平均で57.8回のアクセス数となります。この回数が多いのか少ないのか私には分かりませんが、毎日読んでくれている方が50人以上いるということは、素直に嬉しいですし今後の励みにもなります。このアクセス数を気にしながらHPを管理していくことに、少しずつ成長していかなければならないという自覚と、書き続けていくことに大きな喜びを感じています。特に、1日のアクセスアクセス2009数が200を超えたことがあったとき、興奮を抑えることができませんでした。最近は多くても100を超える程度で、やはり平均値の50前後で推移していますが、毎日読んでくれている方々を大切にしながら、新規の方も発掘していかなければならないと、自覚している昨今であります。実は、昨日の午後11時過ぎに携帯に電話があり、アクセス数が10000になったことを知らされました。秋田市牛島の高島 昭二さん(74)からで、以前にも数回電話でHPに係る指導を受けた方でした。高島さんには、サークル「山鳩」の30周年記念誌や記念品、鳥海地域の特産品などを送付します。読者の皆様、今後ともご愛読のほどをよろしくお願いいたします。

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No,135  #2010年04月16日(金)

一人暮らし老人宅の除雪奉仕作業昨日は(も?)飲み会があったので、今朝は若干起きるのが遅く三時半でした。そして、100メートル離れている山鳩会館でPCに向かって、この原稿を打ち込んでいます。今朝は山鳩のHPを開くのがドキドキしていました。10000回を達成したかどうか気になったからです。残念ながら、今朝の段階では9962で達成しませんでしたが、今日中は行くのではないかと期待しています。毎日の更新は苦にはなりませんが、励みになるものが無いとなかなか寂しいものですが、アクセス数が多かったり少なかったりを結構気にしています。毎日読んでくれている私の姉や同級生、知人の方々には、駄文にもかかわらずご愛読をいただき感謝していますが、今後ともよろしくお願いしますと共に、サークル「山鳩」のHPの存在を皆さんにPRしていただき、アクセス数がドンドン増えていきますのように期待しています。思いもよらないインターネットの時母子父子家庭の子供たちへX'masプレゼント配布代が登場し、鳥海町のような過疎地域であっても大都市と対等に戦えることになりました。
 要するに、アイデアや企画力で負けなければ田舎であっても悲観する必要はないのです。物が良ければネット販売で、いくらでも売ることができるし儲けることも可能なのです。
 サークル「山鳩」は任意団体なので、活動資金は社会福祉協議会の僅かな助成金とメンバーの自腹で賄っています。この部分を独自の商品を開発して補なえないか、または、HPの広告料で稼げないのか考えています。そのためには、このHPのアクセス数が増えないとうまくいかないのです。
まだまだ課題は山積していますが、サークル「山鳩」のHPをご愛顧の程を・・・。

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No,134  #2010年04月15日(木)

車に乗って出かけるとき、必ずデジタルカメラを持つようになってから1年になりました。普段何気なく通る道でも、気にして眺めると変化に気づくことがありますが、これまでは全く気にしていませんでした。カメラを持つことによって、被写体を探している自分が、そこにいるのです。鳥海地域に限らず、カメラに納めたいものはいくらでも潜んでいると思いますが、私のように、それに気づかない方が多いのかもしれません。デジタルカメラで撮った写真は、その場で確認できますので失敗はありませんし、帰ってからプリンターで印刷すれば瞬時に出来上がります。特に集合写真の場合は、宴会が終わるまでにプリントを済ませて、帰るまでに配布することが可能です。もらった方も、その日の宴会のメンバーを写真で教えることができますし、何よりも土産話に華が咲くことが喜ばれると思います。また、何年も帰って来られない鳥海地域の同年生は、田舎の風景写真を楽しみにしていると思っています。また、昔の写真も喜ぶと思っていますので、是非ともサークル「山鳩」のHPをご覧いただき、ご意見ご要望をメールでいただければ幸いです。10月26日に開設したサークル「山鳩」のHPが、いよいよアクセス数10000を迎えます。本日中にいく可能性もありますが、明日になるかもしれません。9999と10000、10001をゲットした方は、プリントアウトしてサークル「山鳩」の事務局まで送っていただければ、記念品を差し上げますのでよろしくお願いします。6カ月になろうとしていますが、今後ともご愛読のほどを…。

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No,133  #2010年04月14日(水)

4月10日の秋田魁新聞の朝刊に、「リフォーム支援」好調という記事がありました。秋田県が3月1日から受付を開始した「住宅リフォーム緊急支援事業」への申し込みが、1カ月間で568件で助成総額は8,679万円に上っているそうです。この事業は、県内の住宅やマンションのリフォーム、増改築にかかった工事費の10%を最大20万円まで助成するもので、来年3月を期限に12億6千万円の枠を設定しているようなので、まだまだ間に合いそうです。由利本荘市でも、同じような助成金を4月中に募集しており、工事費の10%を最大30万円まで助成しますので、併せて利用すれば最大50万円の助成を受けることができます。トイレや風呂場を修理して下水道につなげたい方、屋根の雨漏りが発生して吹き替えをしたい方、畳を交換し外壁を塗装したい方など、備品の購入以外だったら対象になるようです。ただし、工事費が50万円に満たない場合は対象になりませんので、この機会に修理したい部分を合わせて50万円以上にして、県と由利本荘市で合わせて20%の補助金をゲットしたほうが賢いのかもしれません。この事業の手続きは、最寄りの市役所や総合支所ももちろんのこと、大工や下水道工事店、設計会社でも把握していますので、ご相談の上ご検討したほうが良いと思います。一番怖いのは、知らなかったことによって、もらえるべき助成金が手に入らないことです。この不況下で、住宅の補修を我慢していた皆さん、今がチャンスです。

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No,132  #2010年04月13日(火)

手作りマスコット4月6日から15日までの10日間「平成22年春の全国交通安全運動」が実施されていますが、由利本荘地区交通安全協会川内支部では昨日の12日、川内小学校前で午前7時から手作りマスコットやチラシ、ポケットテッシュなどを配布し、交通安全を呼びかけました。この手作りマスコットは、川内支部の女性部の皆さんが、冬期間の比較的忙しくない時期に集まり、一つひとつ丁寧に心を込めて作ったものです。ここ10年以上行われており、川内支部の恒例の行事になっています。川内支部では、今年8月22日に開催する交通安全運転競技会が50回目を迎えるという、記念すべき行事を控えています。この運転競技会は、1チーム2名以上が車に乗車し、決められたコースを制限速度以内で走行して、予め試走して測っていた時間に近いチームが上位に入賞します。コース途中にはチェックポイントがあり、一時停止や信号、ウインカーのタイミングなどを潜んで見ている役員がいます。また、交通ルールに関したペーパー問題もあり、それらを総合して減点数の少ないチームが優勝となります。以前、私が川内支部の事務局をやっていない頃は、伏見チームの一員として出場して優勝したこともありました。日曜日にやりますので、野球の試合とかち合うことが多く、なかなか出場できませんでしたが、楽しみな行事の一つでありました。残念ながら、事務局となってからは主催者側ということ出場できなくなってしまいましたが、このような地域の地道な交通安全運動が、交通事故を抑制するための大きな力となっているのです。

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No,131  #2010年04月12日(月)

12月3日から、毎日このコーナーに記載するようになってパソコンに向かう時間が増えました。毎朝3時頃(朝では無いという方もいますが)には起床し、メールチェックとHPのカウンタ数をチェックしてから打ち込みに入ります。今日は何を書こうかな、と思いながら昨日のことや以前撮った写真を物色してから題材を決めますが、何故か悩むことは少なく5分程度で決まります。決まったら、資料が足りない場合はネットで調べたり、新聞の記事を探したりします。特に数字を入れる場合は、間違ったりすると読んで頂いた方に申し訳ないので、よく調べてから使用するようにしていますが、決して完璧ではありませんのでご容赦ください。打ち込みが終了して、秋田市のHP管理人のS君にメールして終わりとなりますが、この間約30分です。さて、話しがそれてしまいましたが、昨日は本荘へ行く機会がありましたので、10日の魁新聞に掲載されていた写真展を覗いてきました。インターネットのブログで知り合った4人が、写真愛好者という共通ジャンルを生かして写真展を開催したのです。この4人、宮城県の方と秋田市が二人、そして由利本荘市の方で、今回は由利本荘市石脇の酒蔵さろん「角太倶楽部」で10、11日の二日間行われました。今やネットを通じて全国はもとより、世界の方々と知り合いになれるチャンスがあります。どこに住んでいようと、色んな方々とネットを通じ友達になれるのです。写真展は、アマチュアの域を超え、プロなのかなと思えるほどの腕前でした。題材が鳥海山や獅子ケ鼻湿原、桜などの風景を中心とした作品でした。ネットを通じて知り合う機会は、全ての方々に平等にありますが、あなたはどうしますか?

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No,130  #2010年04月11日(

野草を採る園児先日、車で走っていたら大勢の子供たちの姿を見つけました。川内小学校の上田野グランドに近い田圃で、川内保育園の3〜5歳の子供たちが、保育士に連れられて散歩していたのです。少子高齢化と言われるようになってから、鳥海地域の子供の数がめっきり少なくなったような気がします。今年1年生に入学する子供たちも、川内小学校が16人、直根小学校が8人、笹子小学校が8人の合わせて32人です。私の長男(25歳)が鳥海中学校を第1期生で卒業する頃は、100人を超えていましたので20年で3分の1以下になったことになります。更に私たちの頃の同年齢は、200人ぐらいいましたので、その激減差が理解で鳥海山をバックに園児を記念撮影きると思います。私には3人の子供がいますが、サークル「山鳩」をはじめ鳥海地域に住んでいる同年齢は、3人の子供がいる世帯が多くいます。鳥海地域の場合、若者の定住が進んでいない結果が少子化となっているわけで、働く場の確保や集える場所の提供など、若者から住んでもらえるような町づくりが求められます。鳥海の恵まれた大自然だけでは、若者から支持を得ることはできません。上田野で見つけたかわいい保育園児が、これから20年後も鳥海地域に住んでもうらためには、何が必要なのかを地域のみんなで話し合い、行動を起こさなければ明日の鳥海は無いのかもしれません。

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No,129  #2010年04月10日(

春の交通安全運動春の交通安全運動が、4月6日から15日までの10日間実施されています。この期間中、鳥海地域の集落ごとに交通安全母の会や交通安全青年部などが、交替で街頭指導を実施しています。この時期は、小学校に入学したばかりの新1年生が、黄色の帽子をかぶって初々しい姿で登校します。先生方も、早朝から通学路の要所要所に交替春の交通安全運動登校風景で張り付いて、声をかけながら指導をしています。ところで、今回の交通安全運動期間中に「交通事故死ゼロを目指す日」があるのを知っていますか?私は、本荘由利地区交通安全協会川内支部の会計を担当していますが、恥ずかしながらこれまで気にしていなかったせいか、そんな日があることを知りませんでした。その「交通事故死ゼロを目指す日」が、今日10日なのです。1970年に1万6765人が死亡したのが最高で、昨年交通事故現場は4914人まで減っています。それでも1日あたり13人は亡くなっていますので、これをゼロにするのは大変なことなのではないかと思います。と、いうよりゼロを目指さなければならないのは毎日であって、特定の日を設けること自体に違和感を覚えるのは私だけでしょうか?ちょっとした油断やスピードの出し過ぎで起きる交通事故は、心がけ次第で減らせることはできます。しかしながら、超高齢化社会に突入した現在、高齢者に対して車を運転することを止めることはできませんので、これからは交通事故が益々増えて行くことが予想されます。高齢者に対する交通事故対策は急務であり、地球温暖化より身近な問題であり、早急な対策を望んでいます。

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No,128  #2010年04月09日(金)

三船敏郎外伝ポスター今日も、粟津號さんのことを書かせてもらいます。平成12年3月15日に亡くなった粟津さんを惜しみ、私たちはサークル「山鳩」の野口会長を実行委員長に「粟津號追悼映写会」を開催しました。その年の同級会と併せて企画し、関東方面から参加した者など40人が参加して「徹子の部屋」に出演したときのビデオと、一人芝居「上野駅14番線」を録画したものを放映しました。初めて見る者が多かったせいか、その迫真の演技に興味深く見入っていました。その後、奥様で詩人の船木倶子(ふなきともこ)さんから挨拶をいただき、鳥海町と粟津さんのことを熱っぽく語っていただきました。船木さんとは、今でも時々電話したり行事に参加してもらったりしています。昨年10月に開催したサークル「山鳩」設立30周年記念式典にも出席いただきましたし、平成18年に初めて開催した「三船敏郎フォーラム」にもゲストとして参加いただきました。今年も第3回目とな船木倶子さんとる「三船敏郎フォーラム」を開催予定ですので、粟津さんが亡くなってから10年となりますので、併せて開催して「三船敏郎・粟津號」のコラボレーションができたら、粟津さんは喜ぶだろうなと考えています。今は亡き粟津さんの遺志を引き継ぎ、三船敏郎と秋田県鳥海町の関係を全国に発信して行きたいと考えています。そのためには、まず地元鳥海の方々が三船氏のことを知ってもらわなければなりません。全国から鳥海町に集まってきたとき、地元の人が三船氏のことを知らなければ、来た方々はがっかりして帰ることでしょう。「三船敏郎フォーラム」に参加して素顔の三船氏を知ることによって、地元の方々はもっともっと好きになることでしょう。

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No,127  #2010年04月08日(木)

故粟津號(あわづごう)さんは、奥様の船木倶子(ふなきともこ)さんと何度となく鳥海町を訪れました。サークル「山鳩」では、世界のミフネこと三船敏郎氏を活かした地域づくりを模索していましたので、三船敏郎氏に興味を持っていた粟津さんにとっても好都合だったのかもしれません。粟津さんは、三船氏のことを精力的に調べ上げ、一人芝居の台本的な存在となる「三船敏郎外伝」を平成10年の暮れに完成させました。翌年には一人芝居を演じ、世界のミフネこと三船敏郎氏と鳥海町の関係を、全県はもとより全国に向け発信する予定でした。退院して電話で話したとき「体重が減ってしまって三船敏郎の体型に近づいたけど、迫力が出せないので困った」と、言っていました。私は「鳥海町で公演できるように頑張ってください」と言っていたので、平成12年3月15日の死は寝耳に水でした。亡くなって半年ほどが経ってから、私は千葉に赴き粟津さんの納骨を済ませていない遺骨に対し手を合わせ、あまりにも短かった3年間の想い出を浮かべながら、冥福を祈りました。真夏の暑いときに粟津さんを訪ねたとき、汗びしょになった私は風呂に入れてもらい、粟津さんのパンツをはかせてもらいましたが、今となっては大切な宝物です。「三船敏郎外伝」を鳥海町で演ずることもできずに、この世を去った粟津さんの遺志を引き継ぐには、父の故郷である鳥海町を大切にしていた三船敏郎氏のことを更に調べ上げ、「三船敏郎ゆかりの地・鳥海」を全国に発信することだと思っています。


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No,126  #2010年04月07日(水)

皆さんは、男鹿市出身で俳優の故粟津號(あわづごう)さんを知っているでしょうか?あの石原裕次郎が主演した「太陽にほえろ」にも出演したことがある粟津さんとは、平成10年に知り合いました。鳥海町出身の出稼ぎ者が、正月休みを利用して地元に帰ろうと寝台列車で帰ろうとしたとき、酒によって小用をしているうちに急に回送列車が動き出し、バランスを失って転落して亡くなったという新聞記事をもとに、鳥海町に取材に訪れ「上野駅14番線」という一人芝居を平成8年につくりました。そのひとり舞台が平成10年2月、由利町の善隣館で行われたことを知り、是非とも地元の鳥海町で公演していただきたいと思い交渉を続け、その年の7月の町社会福祉協議会で開催することができました。そこから交際が始まり、三船敏郎の父親の実家があることを知ってからは、一緒に三船敏郎を取材して回りました。鳥海町小川の父親の実家はもちろんのこと、東京都世田谷の三船プロダクションにも行き、長男の史郎さんに取材をしました。そして平成10年8月には、前年の12月に亡くなった三船敏郎氏を追悼し、サークル「山鳩」が中心となり紫水館で映写会を開催しました。粟津さんは、調べ上げた取材をもとに「三船敏郎外伝」を書き上げ、その後、一人芝居として舞台で演じるまでに至りました。しかし、その頃から病魔に冒されており体重は半分近くになっていましたが、平成12年3月15日に亡くなる5日前まで舞台に立ちました。その気迫は、まさに役者魂だったことでしょう。私は、粟津さんを鳥海町の応援団だと思っていましたので、その落胆は非常に大きかったです。(明日に続く・・・)


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No,125  #2010年04月06日(火)

指揮者をする副分団長時代私は、数年前まで地元の消防団員に加入しており、最後は分団長まで経験しました。団員時代は機関員として、自動車ポンプ操法秋田県大会で当時の本荘市由利郡として初めて優勝しています。その当時の練習はきつく、お盆もしないで練習を繰り返したものでした。由利本荘市では、機能別消防団員を募集していましたので、役に立てるのならと思い2月1日付で加入しました。この機能別消防団員とは、能力や事情に応じて特定の活動のみに参加する消防団員で、火災や災害時等に活動し消防団活動を補完する役割を担っています。過疎化が進む鳥海地域においては、若者の定住人口が極端に少なくなっており、消防団員の確保も困難となっています。また、団員の職場も日勤や夜勤などの交代制が多く、また、鳥海地域以外に通勤している団指揮者をする副分団長時代員がほとんどで、昼夜をとおして鳥海地域に在住している団員は少ないのが現状です。これらを解消するため、消防団員として経験のある市民に再度入団してもらい、有事の際はいち早く駆けつけて活動に当たることを期待しています。地元第1分団の分団長である村上憲四郎は、サークル「山鳩」の会員でもありますので、快く加入し協力したいと考えた訳です。それと私の息子も団員なのですが、本荘に住んでいるため活動できないのが現状ですので、親父が補完するのも致し方ないことなのです。火災や自然災害は無ければ有り難いのですが、一端発生した際に適切な活動で最小限に食い止めるには、経験がものをいう場合が少なくないのです。


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No,124  #2010年04月05日(月)

貝沢集落からの鳥海山昨日は天気も良く、久しぶりに気温も上がったので、ある団体の総会の通知を配達しながら写真を撮りました。鳥海山を撮るには、自宅から車で2分の貝沢集落に行きます。高台にある田園地帯で、直線道路が1`続く私の好きな鳥海山撮影ポイントの一つです。貝沢集落には若い専業農家が多く、農業では先進的な活動を展開して貝沢ミニライスセンターおり、貝沢ミニライスセンターを建設し稲の乾燥調整を一手に引き受けるなど、鳥海地域のモデル農村的な存在となっています。また、「貝沢からうすからみ」という伝統芸能と「貝沢神楽獅子」があり、お盆などに集落を回って無病息災、五穀豊穣などを祈願します。封筒を配達しようと車を降りたら、福寿福寿草草が元気よく咲いていました。鳥海地域に春を告げる花としては、ふきのとうに次いで早く咲く花ですが、ふきのとうって花なのでしょうか?山菜のような気がしますが、山菜に花が咲くものってありましたっけ?疑問だけが残ってしまいました。これから農作業で忙しくなりますが、合間を縫っての山菜採りも楽しみの一つです。大自然が残る鳥海地域では、雪が解け春を待ちかねたように多くの山菜が芽を出し、私たちが訪れるのを待っています。自然には逆らうことができない無力の人間にとって、自然と上手に付き合うことが常道だと考えています。自然を破壊すれば、そのツケはいつか必ず返ってきます。地球温暖化は、これまでのツケが溜まってきたものです。今年も田圃を耕し、自然と向き合いながら楽しく過ごそうと考えています。


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No,123  #2010年04月04日(

私は、お酒が大好きで、特にビールは1年360日ぐらいは、飲んでいるはずです。365日飲んだ年も、数回はあったことでしょう。そして銘柄なのですが、アサヒスーパードライが世に出てからは、アサヒオンリーになってしまいました。だからといって、それ以外は飲まないわけではなく、最近は各メーカーの発泡酒を飲むことも少なくありません。要するに、アルコールであれば何でも良いのですが、せっかく飲ませてもらえるのなら、アサヒスーパードライが飲みたいというぐらいこだわりです。私の場合、最初から最後までビールで終わることもありますし、途中で焼酎に切り替えることもあります。また、ワインや清酒、ウイスキーなど、要するにアルコールであれば何でも良いのです。飲んでからの会話も好きで、特に町おこしや地域づくりのテーマだと燃えますね。話しは戻り、アサヒスーパードライは昭和62年3月に発売され、日本初の辛口生ビールとしてビール業界に革命を起こすヒット商品になりました。因みに、私の長女が昭和62年8月に生まれていますので、23年間飲み続けていることになります。女性が飲みやすい味にしたのが良かったと思っていますが、その後は大きなヒット商品もなく、最近はキリンビールから1位の座を奪われてしまったのではなかったでしょうか?アサヒスーパードライが出るまでのアサヒは、知名度が低かったような気がしますが、昭和46年6月に発売したアルミ缶入れビールは、日本初でアサヒが発売したものです。企業の努力は、私たちには見えない部分で日々繰り返されていることでしょう。気まぐれな消費者のために・・・。

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No,122  #2010年04月03日(

ブロンズDVD10月18日に開催した、サークル「山鳩」設立30周年記念祝賀会のゲストとして出演したのがブロンズです。由利本荘市出身のメンバーが大半を占め、歌のない演奏のみのバンドとして昨年メジャーデビューしました。県内各地でコンサートを開催していますが、私は6月19日に秋田県児童会館で開催されたデビューライブに行きました。会場は満員となり、盛り上がりもありましたし、演奏も素晴らしかったです。そのブロンズが、5月30日(日)の午後5時からり本荘市文化会館でライブを開催します。昨年の山鳩との縁もあったので、ブロンズ後援会の会員になった私には、前売り券販売の依頼がありました。是非ともご参加いただきたいと思いますので、私からチケットをお買い求めていだきたいと思います。なお、ビッグニュースだようですサークル「山鳩」設立30周年記念式典にてが、ブロンズが7月に開催される「スイス・モントルージャズフェス」に招待されたそうです。世界三大ジャズフェスとなっているわけで、これまでも日本人の出演は数組(人)のようです。このフェスを良く知っている方は、「財産を投げ打ってでも、出演する価値がある」と、言っているそうです。この出演の決定が、ブロンズにとってどの程度の評価となるかは分かりませんが、一気にメジャーとなって秋田県を代表する由利本荘市のバンドとして、いや日本芸能界を代表するバンドになってもらいたいと願っています。そのためにも、由利本荘市の皆さんには是非とも応援していただきたいと思っています。とりあえず、5月30日のチケット購入をお願いします。

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No,121  #2010年04月02日(金)

水路施工前雪もだいぶ消え、田圃が見えるようになってきました。いよいよ今年も、水稲栽培の季節になってきました。既に塩水選を終え、消毒済みの種子を水に漬けています。これからハウスづくりが始まり、4月17日頃に種まきをしてからハウスに設置します。5月の連休中に田堀をしてから水を入れ、代掻きをします。そして、15日頃に田植をすることになります。毎年、春になればこの繰り返しが行われていますが、今年は水利組合で水路工事を実施したので、「堰普請(せきぶしん)」が薬になるはずです。堰普請とは、水路に水を入れる前の整備のことで、草刈りや泥上げを行い、水がスムーズに田圃まで流れるようにすることです。コンクリートの水路となったことで、泥上げをしなくて済むのです。これまで、5人で3時間程度かかっていた作業を2水路施工後回実施していましたが、1回あたりの作業時間が半分以下になると思われます。農業従事者の高齢化と後継者不足に悩む鳥海地域では、こういった整備を進めて行かないと維持できない田圃が増加する可能性があります。いわゆる耕作放棄地といわれる田圃が一度発生してしまうと、これを農地として再び耕作するようにするためには、大きな労力と時間を費やすことになります。過疎化が進む中山間地では、こういった基盤整備を実施して行かないと、農地の荒廃を止めることはできません。景気対策による国の事業として、6割補助(うち市が1割)をもらっての今回の工事は有り難い限りで、今後も続けていってほしいものです。ただ、4割を農家が負担しなければならないので、米価が下がっている現状で進めていくのには、困難が予想されますが・・・。

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No,120  #2010年04月01日(木)

八天堂クリームパン東京リポート第4弾です。出かけた際に困るのが、お土産に何を買うか迷うことです。特に、東京に行ってお土産を買うときは、皆さんが知らないようなものを発見するには時間がかかるので、いつもありきたりのもので済ませてしまいます。今回、美彩館に行く機会に恵まれ、JR品川駅にに立ち寄ったお陰で、行列ができる店を発見することができました。姉は前から知っていたようで、広島県から八天堂前に並ぶ人たち直送しているお菓子やさんで、テレビ番組に取り上げられたことで、一気に注目を浴びたことを教えてくれました。この日は、既に売り切れていたので諦めて夕食を食べに行った帰りに、再び通ったらお客さんが30人ほど並んでいたので聞いたら、午後便が到着したばかりということで、保冷庫の中には山積みのクリームパンがありました。昭和8年に広島県三原で開業した八天堂は、手松皮餅づくりにこだわり一つ一つを丁寧に作っています。クリームパンの種類は5種類で、カスタード、抹茶、小倉、チョコ、生クリームがあります。1個200円と高級なものですが、ふんわりとしたソフトな生地で5種類のクリームを包み込んだパンは、飛ぶように売れていました。良いものを作れれば、交通網が発達している日本においては、一気に売れる商品となりうることが可能です。鳥海地域には古くから受け継がれている「松皮餅」があります。名前のとおり、餅に松の皮を入れて紫色になった餅です。直売所で販売していますが、この商品が全国に注目されるようになれば、由利本荘市のPRにもなるのですが・・・。





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