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事務局の独り言【2010年3月】
このコーナーは2009年12月からスタートしました。開始以来毎日更新しています!



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No,119  #2010年03月31日(水)

東京リポート第3弾です。恥ずかしながら、今回の上京で初めて知ったのが「ナチュラルローソン」の存在です。朝に散歩していて、娘のアパートから2分程度にあったのを見つけましたが、その筋向かいにはローソンがありましたので、何が違うのか興味があり覗いてみました。品揃えは少なめのような気がしましたが、ナンとパンを焼いていましたので焼きたてのパンを食べることができました。ローソンカードも使用できましたので、ローソンの紛いもんでは無いことが分かりました。店内のトイレは広くできていて、中にベビー用の椅子が備え付けられているなど、色んな部分に配慮されている店舗でした。このナチュラルローソンを調べてみると、都内にはかなりの店舗数がありますが、神奈川に5店舗と千葉に1店舗あるだけですので、私が知らなかったのもしょうがないことだと納得してしまいました。ナチュラルローソンは、美しく健康で快適なライフスタイルを身近でサポートするコンビニエンスストアで、美容と健康をサポートする品揃えで、ダイエットなどの情報発信や食品の出来たて、プレミアム感を追求し、働く女性を中心に、お子様からお母様、ご年配層まで三世代にわたり広く愛される店づくりを目指しています。それでベビー用の椅子があり、焼きたてのパン屋さんが入っていたことに納得しました。コンビニが飽和状態になっている時代に、果敢に挑戦するローソンの姿に共感を覚えましたが、秋田県内に進出するまでは後何年かかるだろうと疑問を感じました。鳥海地域にはコンビニもどきが2軒ありますが、24時間営業のコンビニは未だにありません。急激に過疎化が進む鳥海地域には、縁の無い商業施設なのでしょうか?
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No,118  #2010年03月30日(火)

昨日に引き続いて、東京レポートを書きたいと思います。2〜3年に1度ぐらい行くか行かないかの東京ですが、娘のお陰で2カ月連続(NO,8890で紹介)で行くことができました。せっかく行くのですから、娘には悪いですが何か収穫を得たいのが私の性格です。個人的な目的の二つ目が「秋田県産品ショップ&ダイニング・あきた美彩館」です。こちらはご存じの方も多いと思いますが、例の玉子による食中毒で営業停止となり、新たな指定管理者を募集して3月21日からリニューアルオープンしました。この指定管理者に、由利本荘市西目町の(株)秋田ニューバイオファームが選ばれ、私の従兄弟の旦那(佐々木さん)が飲食部門総監修として2月から派遣されているので、ちょっとだけ立ち寄ってきました。JR品川駅高輪口から徒歩3分という立地条件もあり、お客さんがひっきりなしに出入りしていました。ダイニングに行って佐々木さんから話しを聞いたのですが、前の指定管理者が起こした食中毒の影響が、未だにあるようで困惑していましたが、信頼を得るために従業員は頑張っているようでした。お茶を持ってきてくれた女性に、娘が「アッ」という声を発しました。ナンと、娘の高校時代の同級生だという、東由利出身の小野さんでした。従業員のほとんどが秋田県出身だそうで、東京で秋田を恋しくなった方は行ってほしいと感じました。食材も秋田から直送して、安心で安全なものを仕入れているそうなので、食事や友達との待ち合わせ、デートに利用して、帰りの際は秋田のお土産を買ってほしいと思っています。
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No,117  #2010年03月29日(月)

今朝、東京から帰って来ました。来ると同時に、この「事務局の独り言」を慌ただしく書いています。娘の引っ越しのため、2日間にわたり東京大田区の西馬込で、ベットやテレビ台の組み立て、洗濯機や冷蔵庫の設置などを行いました。注文と同時に、新しい住所地に届けてもらったおかげで、運搬はしなくて済みましたので比較的順調に終わりました。27日に、私はいつもどおりビールを飲んで早く寝てしまったのですが、娘と妻は夜遅くまで後片づけをしたようでした。28日は、午前中で掃除を済ませ、午後からは東京に住む私の姉と合流し、秋葉原に娘のパソコンを購入しに行きました。そして、私の個人的な目的の場所の一つである「ゼロダテアートセンター東京」に行きました。ここは、秋葉原駅から歩いて10分ほどの場所にある、廃校となった旧練成中学校内の教室を間借りしているものです。ゼロダテとは、DATE(日付)を0(ゼロ)にリセットし、新しい何かを始める勇気やきっかけを創造する文化芸術活動です。大館から始まったゼロダテは、秋田を元気にするために、また未来を築く子供たちのためにも、新しい社会参画の道を切り開くことを目的としています。私は、このような活動をしている団体を応援したくなってしまいますので、3月21日のオープンを楽しみにしていましたし、いち早く行くことができて良かったと思っています。秋葉原駅から近い立地条件を生かし、今後この施設を、秋田を発信する拠点とできたらいだろうなと思っていますし、是非とも活用したいと考えています。

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No,116  #2010年03月28日(

20日は、親戚の結婚披露宴が安楽温泉であり、我が家では私と妻、次男の3人が出席してきました。私は親戚として、妻は新郎の母の友人として、次男は新郎の友人としての出席でした。新郎は21才と若く、新婦は3才年上で矢島から嫁いできた、かわいいお嫁さんでした。新郎は川内小学校、鳥海中学校と野球部に所属していましたので、野球部の友人と由利工業高校時代の友人、就職した由利工業(株)の上司や先輩、同僚などが出席していました。新婦の方は、勤務先の特別養護老人ホーム「ふるさと矢島」の職場の方々をはじめ、友人や親戚など両家で140人を超える出席者の中、祝い樽の鏡開きやウエディングケーキ入刀、キャンドルサービスなどが順調に行われました。伏見町内会にお嫁さんが来るのは、約3年ぶりぐらいとなりますし、親戚でお嫁さんをもらったのは5年ぶりぐらいとなります。明るい話題となりますし、伏見町内に早く馴染んでいただきたいので、町内から出席した数人と一緒に壇上に上がり、私は伏見に長く伝わっている長持唄を声高々に唄いました。この長持唄は、1月20日の太平山長持ち奉納の際に唄う目出度い唄で(NO,49に掲載)、私も数年前までは歌い手として活躍していました。今回、親戚の結婚披露宴で唄うことができたのはラッキーでした。新婚の二人には、末永い幸せと二世の誕生をお祈りします。

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No,115  #2010年03月27日(

先日、千葉の親友からメールが届きました。「毎日の独り言更新お疲れ様です。〜省略〜ネタも尽きないと思いますが、方言のことや鳥海町の人口や今後の展開もお願いします」というものでした。ネタに困ったことはありませんが、このように触れてもらいたいものを知らせてもらえれば、有り難いですよね。いつか困ったときに使えるネタを貯めておけますし、鳥海から出て行った友達が何を知りたいのか、何を求めているのか発見することができます。何よりも、ホームページが交流の場となることが楽しいですね。サークル「山鳩」のサイトが全国の人から見てもらい、ついでに事務局の独り言にも目をとおしてもらえたら、どんなに楽しいことか・・・。こんな田舎に住んでいても、ネット上では同レベルで戦うことができます。アイデア次第では、田舎の方が条件が良いのかもしれません。地価の高い都会でネットの仕事をするより、田舎のきれいな空気を腹一杯吸い込み、大自然の中で仕事をした方が良いものができると思います。ということで今、東京にいます。娘の引っ越しのために来ているわけで、地元にも就職できるような環境が整えば、あえて来なくても良いのですが・・・。ただ、娘は友達の大半が東京にいるので、思い通りになったと喜んでいます。東京に憧れるのは、自分の時代も今も変わってはいませんが、今後大きな壁にぶつかるであろうし、職場の雰囲気に慣れるのにも時間がかかるでしょう。娘を含め、田舎から転出した若者には、都会の波にだけには飲み込まれないように、父親として祈っています。

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No,114  #2010年03月26日(金)

アンダンテ昨晩は、地元の紫水館で行われた映画を見ました。「アンダンテ〜稲の旋律」と、いう映画で、会場には婦人の方々を中心に約200人ほどが集まりました。引きこもりになってしまった主人公の千華が、青田になびく稲に惹かれて降り立った千葉の水田に、「誰か私を助けてください」と書いた紙切れをペットボトルに入れ、「心のSOS」として置いてきた。暫くして、水田の持ち主である晋平から千華のSOSに応えようとする手紙が届く。そうして始まった手紙のやりとりが、千華の心を徐々に開かせ晋平の元に出かけて行き、晋平の家族と農業とのふれあいが、千華の生き方を変化させて行く・・・。そんな内容でしたが、残念ながら途中で30分ほど寝てしまいました。これを企画したJAの担当者は、ハンカチが無いと見られないようなことを言っていましたが、そこまではなりませんでした。ただ、農業が、農村が都会で傷ついた人の心を癒すことができることを、この映画は物語っており、農家民宿や農業体験を進める上で有効な映画だと感じました。独り言のNO,103と105でも触れていますが、若者に敬遠がちな農業が、今後再生する上でもPR活動は大切なことです。この映画をJAが積極的に推進していることは高く評価するべきであり、農村部では多くの方々に見てほしい映画だと感じました。「アンダンテ」とは、ゆっくりと歩く速度でという意味の音楽用語です。携帯電話が普及し、仕事から離れることが困難になるなど忙しい昨今、自分の生き方を見つめ直し、本来の幸せとは何かを考えさせる映画であってほしいと思いました。

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No,113  #2010年03月25日(木)

卒業式23日は、娘が入学した秋田県立大学の卒業式がありました。本荘キャンパスのシステム科学技術学部電子情報システム学科に入学したものの、卒業式は秋田キャンパスで行われるため、秋田市下新城まで行かなければなりません。当日は、鳥海地域は晴れていたのですが秋田市に向かうほど天気が悪く、霙が降る寒い一日となりました。秋田キャンパスは入学式以来となりましたが、前回は大学が準備したバスで出席したため入り口の近くで降りましたが、今回は自家用車での出席のため、駐車場から会場までが遠くて大変でした。更に悪天候でもあり、デジカメを忘れて戻るなど最悪でした。それでも、大学の卒業生と大学院の修了生の晴れやかな姿には、初々しさの中に上卒業式品な雰囲気を漂わせていました。いわゆる大人としての自覚が見られ、どこかの成人式のような心配もありませんでした。秋田県知事のあいさつもあり、由利本荘市長の長谷部誠氏や県議会副議長の由利本荘市の小田美恵子氏も出席されていました。秋田県立大学では第8期卒業予定者373名のうち244名(65.4%)が就職を希望しており、234名(95.9%)が内定を受けています。内定率が高いのが、大学の特徴となっています。娘とは、26日の夜行列車で一緒に行き、引っ越しの手伝いをしてきますが、帰りは妻とだけで帰るのは少し寂しい気持ちになることでしょう。

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No,112  #2010年03月24日(水)

由利本荘ひな街道が3月3日から22日まで20日間、本荘・岩城・大内・矢島の各地域で行われました。私は家族と共に、21日に龍源寺の帰り道に、矢島地域のおひなさまを見て回りました。昨年も見ましたが、今年は長男夫婦もいたので案内がてらに回ったのです。矢島地域のおひなさまは、各家庭で保存していたものが多くあり、全部回るにはかなりの時間がかかってしまいますので、最初に大井家に行きました。元国会議員の大井直之助氏らを輩出している大井家では、1864年に購入したと思われる「享保雛(きょうほびな)」が展示されていました。享保雛は江戸時代中期の享保(1716〜36)に流行した雛で、名称は明治になってからつけられています。また、この内裏雛には商印があり、江戸浅草茅町にあった人形問屋「吉野屋」から仕入れされたものだということが、分かっているそうです。次に、山田家のおひなさまに行きましたが、現在も住んでいる一般的な住宅にお邪魔しての公開は、家族の理解がないとできないことです。先祖が1843年に酒田市から転住し、4代続いた指物師(木を組み合わせて家具や調度品などを作る)の家柄で、昭和の初め頃に購入したもののようです。いずれにしても、北前船交易でもたされた文化であり、城下町の矢島と水飲み百姓の鳥海では、食料や衣装、住まい、教育などに雲泥の差があったことでしょう。

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No,111  #2010年03月23日(火)

由利正宗大学生の娘の友達が引っ越しするため、洗濯機がいらなくなるとのことで本荘にもらいに行きました。4年間だけ使用した物なので、まだまだ活躍しそうな洗濯機は、我が家で第2の人生を送ることになりました。毎年、このように電化製品などが不要となり、どのようになっていたのか気になってしまいました。リサイクルする方法を考えていけば、無駄にならずに済むような気がするのですが相馬大作展・・・。その日は、(株)斎弥酒造店(由利正宗)の酒蔵を改造した角太倶楽部で、油彩画の相馬大作氏と和紙職人の高橋朋子氏の二人展があったので覗いてみました。相馬大作氏の作品は、私が秋田市のアトリオンにいった際に、一度お目にかかって知っていたので、少しだけでも見たくて寄りました。絵を描けない私でも、絵を見ることだけは好きです。それも風景画が好きなので、相馬氏の油絵は気に入っていました。自分ができないことをやれる人には、尊敬の念と憧れの思いが交錯します。スポーツが大好きな私にとって、芸術はトラウマ的な存在になっています。自分でやれないから好きなのか、やらないから好きなのか良く分かりませんが、24日(水)まで開催していますので、是非ともご覧いただきたいと思います。

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No,110  #2010年03月22日(

龍源寺昨日は彼岸の入りということで、矢島町にある龍源寺に行って先祖を供養してきました。お墓参りをしようにも、まだ雪があってできませんので、3月の中日はお寺に行くようにしています。この龍源寺は、秋田県でも檀家数が多い方だと聞いています。鳥海町川内地区には寺が無いので、ほとんどが龍源寺の檀家となっていますし、矢島町でも檀家が多いようです。ホームページには「龍源寺は生駒(矢島)藩主生駒家の菩提寺です。創建は元和9年(1623)で江戸時代初頭、矢島を領していた打越氏が建てたのですが、同家は寛龍源寺永11年(1634)に断絶し、後に生駒家がお家騒動の為、四国の高松17万石から1万石に減封され矢島に入りました。現在の建物(本堂)は戊辰戦争で戦火で焼失した後、明治13年につくらた茅葺屋根の重厚な造りで、一瞬目を引き付けられます。」と、書かれています。この日は、檀家の皆さんがひっきりなしに訪れていました。先祖を敬う気持ちは常に持っていても、仏壇に手を合わせることもしない私が、それを表現する機会はこのときぐらいです。40代後半で亡くなった祖父と、92才まで天寿を全うした祖母が一緒にお墓に入ったのが15年前、仲良くしているんでしょうかね?

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No,108  #2010年03月20日(

特別養護老人ホーム「鳥寿苑」が20年前の平成2年に建設され、4月1日から業務を開始する際に担当となりました。そのとき31才の私は、上司に施設長がいたとはいえ、新採用の職員18人と臨時職員10人を束ねる役割を担ってしまいました。他施設への職員研修をはじめ、就業規則や各種書類の作成などを3カ月で準備しなければならず、多忙な3カ月を過ごしたことが昨日のように思い出されます。現在は退職した方や他の職場に異動した方など、当時の仲間が20年ぶりに再会し、昨日、フォレスタ鳥海で「鳥寿苑設立20周年記念祝賀フォレスタ鳥海にて会」を開催しました。3月の多忙な時期でもあり、少し寂しい16人の出席でしたが、終始和やかな雰囲気の中、大変楽しいひとときを過ごさせていただきました。立ち上げから携わった施設ですので、今でも愛着がありますし、その当時の仲間を忘れることはできません。その当時の鳥寿苑職員文集に私が書いた一節に「仕事に対して、熱心は工夫を生む母となり、努力は趣味と化す父となる」とありました。ある本に書いてあったことを記したのですが、仕事を趣味と思えるようになるのは永遠のテーマだと思っています。どうせやらなければならない仕事を、楽しく趣味のようにこなすことは、本人気持ち次第で可能ではあるのですが、上司や先輩、同僚との関係がうまく行かなければ無理です。職場の雰囲気や職員間の関係がうまく行くことが、入り口になります。その点を鳥寿苑では、自分なりに気をつけてやったつもりですが、どうだったのでしょうか?

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No,107   #2010年03月19日(金)

鳥寿苑日本は今、超高齢化社会に突入し、老人福祉分野をどのようにして行くのか、試行錯誤の状況かと想像しています。施設だけに頼ってしまうと、予算がいくらあっても足りなくなるだろうし、在宅に頼りすぎると介護者がダウンしてしまう。両者を上手に組み合わせ、介護保険を適用させながらケアするのが一般的かと思います。鳥海地域には市が運営する特別養護老人ホーム「鳥寿苑」、民間で運営するグループホーム「鳥海」などがあります。ネットで調べたところ、鳥寿苑への入所を希望している待機者は56人だそうです。多いと見るか少ないと見るかは、それぞれの考え方なのでしょうが、その中にはショートスティやディサービス、訪問入浴などを利用しながら、入所できる日を待ちこがれているに違いありません。その待ちこがれている人は、入所者なのか家族なのか、両者なのか考えてみると複雑になってしまいます。この世を去る最後の場をどこにするかは、今ではそれほど大切ではなくなっているのかもしれません。しかし、生まれ育った家であれ、嫁いだ家であれ、施設や病院であれ、最後の場はその人が決められれば、幸福な人生と言えるのではないでしょうか?そのためには、元気なうちに家族に話しておかなければなりません。それはそれで、なかなか言いにくいことなのです。

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No,106   #2010年03月18日(木)

パソコンの苦手な私が、このようなホームページに手を出すとは思ってもいませんでしたが、管理者の適切なアドバイスにより開設できたことを、今更ながら感謝しています。10月26日のホームページの開設から、これまでに何通かのメールと電話をいただきました。一人は、お祖父さんが秋田県出身の若者で、ホームページを見て懐かしく思えたのと、三船敏郎の父親が秋田県出身であることを知り、ビックリしたことをメールしてくれました。また、秋田市の方からの電話では、幅広い活動内容とその実行力に感激したので、今後も頑張ってくださいという、激励の言葉でした。ホームページがもたらす効果は、計り知れないと思いますが、これもパソコンを活用しなければ享受できません。今や一家に一台のパソコンが普及される時代に突入し、いかに活用するかが鍵になると予想されます。店を持たないネット販売店がドンドン増えて行きますし、ほとんどの買い物がネットで購入することができます。それも通常の店より安く買えるし、ガソリンもかからないし、時間も無駄にならないと、いいことずくめです。しかし、衣類や食品など、メーカーで品番を特定できないものなどは、買ってから予想したものと違うこともありますので注意が必要でしょう。話しがそれてしまいましたが、人と人を結びつけてくれるホームページは、サークル「山鳩」を一回りも二回りも大きくしてくれました。

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No,105   #2010年03月17日(水)

2000年6月4日に放送を開始した「DASH村」が日本テレビ系番組で放送されたとき「田舎が見直されるきっかけになればいいなあ」と、ちょっとだけ期待していました。そして、2003年4月から「田舎に泊まろう」の放送が始まり、2006年と2007年に特別番組として放送された「秘密のケンミンSHOW」が、2007年10月からレギュラー番組としてスタートしました。テレビ番組の力とは恐ろしいもので、一気に田舎がもてはやされることになりそうです。国も農家民宿や農業体験、農家レストランなどのグリーンツーリズムに力を入れています。都会の皆さんが癒しを求めて、田舎へ足を運ぶことは歓迎すべきことなのでしょうが、それが一過性の出来事ではダメだと思っています。それだったら、都会の方々に好きなようにあしらわれて終わりです。ブームは、いつか終焉を迎えます。そうではなく、農業体験をして民泊を経験し、田舎の良さを存分に味わい、何パーセントの方かが、そこに住んでもらえるような環境を整えることが急務だと思っています。鳥海町にも空き家はたくさんあります。空き家は、近所の方々に迷惑をかけますが、これを利用できるような態勢にすることで、都会の方々に住んでもらうことが可能になります。厄介者が、田舎に元気を与える拠点になるのですから、やらない手はないと思うのですが・・・。

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No,104   #2010年03月16日(火)

3月13日(土)の午後3時、紫水館において「由利本荘地区交通案安全協会川内支部総会」が、25名ほどの参加者のもと開催されました。私は、この事務局(会計)を引き受けてから10年ほどになるでしょうか。支部長が私の本家であることから、頼まれれば断り切れない弱い立場にあります。それでも、役員をはじめ会員の皆さんと交通安全活動をとおして交流することができますので、視野が広がったような気がします。この支部で特記すべきことは、今年で50回目を迎える交通安全運転競技会です。交通安全ラリーとも呼んでいますが、運転者と助手が自動車に乗り込んで、予め決められているコースを手渡された地図によって運転し、制限速度や信号、標識などを遵守します。何回か試走して割り出した設定タイムに、より近い方が優良な運転者となります。チェックポイントが数カ所あり、筆記による交通ルールの問題を解きます。タイムと筆記問題の正解数をチェックし、個人の部と団体の部がありますが、団体は3台で1チームを構成し、優秀なチームと個人を表彰します。この競技会が記念すべき50回目を迎えるということで、大々的な記念イベントをやれたらいいと思っています。私が1才から始めたこの競技会、あと何年(何回)続くことでしょうか?

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No,103   #2010年03月15日(月

ソバ打ちを体験する参加者この土日の二日間で、連続のイベント開催がありましたので、今朝の目覚めは遅めでした。それでも昨日の後片づけをして、ゴミ出しを済ませてから、7時前にはサイトの管理者にメールを送って、事務局の独り言を更新してもらわなければなりませんので、やっぱり朝も忙しいです。土曜日は「ブラボー中谷のチャリティマジックショー」が開催され、山鳩会館に60人を超える観衆が集まり大活動を紹介する「ひだまりファーム」の稲部さんにぎわいでした。そして、昨日は「訪問者のためのグリーンツーリズム理解講座」が山鳩会館で行われ、地元鳥海をはじめ秋田市や横手市などから12名が参加しました。これは、秋田花まるっグリーン・ツーリズム推進協議会が主催する事業で、初めに、昨年4月から農家民宿を開業した鳥海町上原の「開墾の里」鈴木和子さんから、農家民宿を開業するまでの経緯や訪問者を午前中で2名が帰ってため10名での記念撮影迎え入れての感想などが話されました。そして、私が講師となって「ソバ打ち体験」を実施しました。予め「そば処 ももや」さんから、一人あたり200グラムでそば粉と小麦粉を調合し小分けしてもらったので、いきなり練り鉢に水を加えてからのスタートとなりました。それでも、11時過ぎからはじめたのですが、食べる頃には2時を回ってしまい、目が回るぐらい腹が減ってしまいました。食べながらの座談会では、サークル「山鳩」と秋田市の「ひだまりファーム」の活動紹介が行われ、その後、情報交換が熱心に交わされました。農家民宿は、農村が明るく元気になるためのカンフル剤となるか注目したいと思っています。

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No,102   #2010年03月14日(

昨日は、「ブラボー中谷のチャリティマジックショー」が、山鳩会館を会場に開催されました。前売り券のみ60人限定のイベントでしたが、見事に完売し実際に入るのか心配しながら見ていましたら、結構余裕があるぐらいでしたので、あと10人はいけたと思いました。最初に、野口会長があいさつを兼ねてサークル「山鳩」の活動紹介をしました。プロジェクターを使用して、30年間の活動内容を説明しました。そして、上直根スズ踊りの皆さんが足芸を披露してから、はたちの会の沼倉代表から活動の紹介がありました。そして、いよいよ「ブラボー中谷のチャリティマジックショー」では、満員になった会場とマジシャンのブラボー中谷が一体となり、大いに盛り上がりました。初めての試みに対して、多くの市民からの賛同を得ての開催であり、今後も実施したいと思います。しかしながら、サークルみんなの理解を得ないと開催できませんので、話し合いを重ねながら実現に向けて努力したいと思います。開催した際は、皆さんのご来場をお待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。

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No,101   #2010年03月13日(

熱演する「あっぱれ劇団」全世界では100万人が、日本では3万2千人が自殺によって命を落としています。秋田県では、平成7年から14年連続で自殺率1位という、不名誉な記録が続いています。平成20年は410人が自殺しており、交通事故の死亡者数が100人に満たないのですから、その数が突出していることは明らかです。先日、鳥海会場の様子町笹子公民館で「心の健康を考える集い」」が開催されました。市が主催する行事ですが、「オープンハートオコジョ」が共催しており、知的障がい者との交流事業で協力をいただいていましたので、ちょっとだけ覗いてみました。横手市の「あっぱれ劇団」が演じる「たったひとつの命です」では、母親がパチンコにのめり込んで借金を重ね、家庭が崩壊していく様子をシリアスに演オープンハート オコジョのメンバーじていました。女性だけ10人の劇団員中、7人が参加して行われた演劇には、150人の観衆で会場は一杯になっていました。鳥海町の自殺率は、秋田県でトップクラスと聞いています。と、いうことは全国でトップクラスということになります。集いでは、自殺予防を目的としている「オープンハートオコジョ」の活動も紹介するなど、地道に活躍している団体があることを、もっともっと認知してもらえるよう頑張ってもらいたいものです。そして、自ら命を落とす方が一人でも減っていくことを願っています。

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No,100   #2010年03月12日(金)

12月3日から始めた「事務局の独り言」が、本日で記念すべき100回目を迎えました。それも、一日も欠かさず連続での記録達成です。周りの人からは、「良く続くもんだ」と言われますが、自分では楽しんでやっていますので、一日の日課で歯ブラシでもしているような感覚でやっています。ネタもいくらでも転がっていますので、苦痛になることはありません。ただ、継続するためには、どこかに迷惑をかけることになります。毎日の更新ですから、当然のことながらホームページ管理人のS君には、毎日迷惑をかけています。それもボランティアでの管理であり、感謝の言葉を重ねるしかありません。また、それ以上に感謝しなければならないのが、私を支えてくれている家族です。わがままで気まぐれ、自分勝手な私に文句を言いながらも付いてきてくれる妻、身体のことを心配してくれる両親と、私たち夫婦のことを気遣ってくれる3人の子供たちには、大変な迷惑をかけていますし感謝しています。家族がしっかりしていないと、いくら色んなことをやってもナンにもなりません。家族あっての私であることを再確認しながら、今後も地域活動に取り組んでいきたいと考えています。
※写真は、今年の正月に撮ったものですが、私と妻、3人の子供と長男の妻、両親、姉の8人です。

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No,099   #2010年03月11日(木)

いよいよ明日が、記念すべき100回目となります。当初は、毎日書こうとは思っていなかったのですが、何故か止められずにここまで来ました。100回目を区切りに、不定期にしたいと考えています。と、言っても毎日書くかもしれませんし、一日おきになるかもしれません。はたまた、2〜3日おきになるかもしれませんが、これまで目を通してくれた皆さんには、これからもご愛読くださるようお願いいたします。私の好きな言葉な中に「柳生家の家訓」があります。「小才は、縁に出合って縁に気づかず。中才は、縁に気づいて縁を生かさず。大才は、袖すり合った縁をも生かす。」これは、私が師と仰ぐ佐々木先生から、15年ぐらい前に教わった言葉です。そのとき、私に向かって「お前は、大才だな」と、言われました。私の場合、出合った人との縁を大切にし、その後も色んな形で付き合っていくと、お互いに利用し合える関係になることを望んでいます。そうすれば、点だった関係が線で結ばれ、面になることもあるかもしれないのです。これまでも、色んな方々と出会って来ましたが、昨年ほど、この縁を感じたことがありません。NO,30NO,42にも記載していますが、この出合い・縁を大切にすることで、その人の将来が決定すると言っても、過言ではないと思います。皆さん、今日から出合い・縁を大切にしませんか?

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No,098   #2010年03月10日(水)

小川会館前で三船敏郎の生誕100年まで、後10年であることはNO、96にも記載してあります。月日が経つのは早いもので、三船氏が他界してから、もう13年が経過しました。その間、娘である三船美佳が人気を博し、テレビなどのメディアに取り上げられ引っ張りだこの状態です。「三船美佳は呼ばないのか?」と、よく言われるのですが、白黒の世界の父・三船敏郎に対して、娘である美佳は、カラーの世界に出現した今時の新人類だと思います。古い考えの私は、「世界のミフネ」こと三船敏郎の関連する活動に、娘美佳を出演させることに違和感を感じていました。今も、その考えに変わりはありません。しかし、時代が流れていくのに、その流れを完全に無視することはできません。どこかのタイミングで、娘である美佳氏を父の縁の地である鳥海に、足を運んでもらうことも必要なのかもしれません。ただ、地元である三船家の方々が、どのように考え感じているのかを知る必要があります。写真は、昭和44年に当時の鳥海村に三船氏が来村したときのものです。隣に小さい男の子がいますが、今は43歳になっている藤原君から借用しましたが、大切にしている写真だと感じました。

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No,097   #2010年03月09日(火)

鳥海荘鳥海地域には、由利本荘市内では唯一の高温泉「猿倉温泉」があります。この温泉の特徴は、ツルツルする肌触りで、全国の中には同じような温泉があるのでしょうが、未だに私は出会ったことがありません。この温泉には、休養宿泊施設「鳥海荘」とホテル「フォレスタ鳥海」で入ることができます。両施設とも、日帰り入浴もできますので、是非ともご利用いただきたいと思います。私も、時間があれば入浴するようにしていますが、サウナが好きなので、半日ぐらいかけて行かないとダメなタイプです。ちょっと行ってすぐ帰って来るのであれば、自宅の風呂で済ませてしまいます。15年ぐらい前に、長男を連れて長野に行ったとフォレスタ鳥海きに感激したのが、朝の5時頃から営業している温泉に出会ったときでした。運転をし続けて疲れたとき、その温泉があったので、迷うことなく飛び込みましたが、それを利用しているのは地元の方々で大勢いました。「地元に愛されている温泉はいいなあ〜」と思いながら湯船につかったことを、今でも忘れることができません。私たちの温泉も、朝から入れたら楽しいだろうと考えている人は、私だけなのでしょうか?市直営から指定管理者によって運営されている鳥海荘と、第3セクターによって運営されているフォレスタ鳥海、どちらが先にやるか、やらないで終わるかは分かりませんが、市民に愛される温泉になるためには・・・。

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No,096   #2010年03月08日(月)

ウィルパワー昨日、秋田市のアルヴェで行われた「市民活動フェスタ2010」に参加して、色んな活動をしている方々と知り合うことができました。その中で、衝撃的な出逢いは、劇団プロデュースチーム「ウィルパワー」です。この団体は、1994年にスタートし、秋田市内を中心に活動するアマチュア劇団です。10名のメンバーがいますが、現在秋田市を中心に活動しているメンバーは6人で、仕事を持っていたり主婦だったり、学生だったりとバラバラです。代表の加賀屋世界のミフネさん以外5人は女性という、まさにハーレム状態の劇団で、男の私から見れば羨ましく思えます。演劇の公演はもちろんのこと、寸劇やコント形式の作品の上演など、出演人数や会場の規模に合わせてオリジナルの作品を作り上げます。私は以前、わらび座に三船敏郎を題材に取り上げてもらえないか打診しましたが、色んな事情があり断られた経緯がありました。このことを加賀屋代表に伝えたところ「やれると思うので資料をください」と、言うことだったので手持ちの資料を直ぐさま渡しました。サークル「山鳩」では、三船敏郎フォーラムなどを開催して「三船敏郎ゆかりの郷・鳥海」をPRしてきましたので、演劇で取り上げてもらえれば、更にPRすることが可能だと考えていました。それが、昨日の行事で知り合った縁で、実現する可能性が高くなってきました。三船敏郎生誕100年まで、後10年です。この10年で、「三船敏郎ゆかりの郷・鳥海」の集大成を築き上げて行きたいものです。

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No,095   #2010年03月07日(

ブースにて今日、「市民活動フェスタ2010」が秋田市のアルヴェで行われ、市民活動PRブースに参加してサークル「山鳩」の活動をパネルで紹介仮7級しました。ステージショーでは、にかほ市象潟町出身の女性二人組フォークデュオ「仮7級」、オーガニックエレクトロニカ的打楽器ユニット「オムトン」の一人は仙北市角館町出身、九州福岡を拠点に活動している「オムトン」は秋田市出身で、唄や踊り、演奏が会場内で繰り広げられました。そして、鳥海町に伝わる「天神あやとり」天神あやとりを普及させ秋田県全体の活性化目指す、「AIU天神あやとり会」の華麗な踊りも披露され、会場から大きな拍手をいただいていました。鳥海の伝統芸能を秋田県はもとより、全国に普及させようとする国際教養大学の皆さんには、改めて敬意を表したいと思います。現在、「天神あやとり」の発祥の地と言われている四国を捜索し、突き止めようと頑張っているようでした。有難い限りです。「天神あやとり」が全国版になることを願っているのは、発祥の地である鳥海町天神集落の皆さんなのかもしれません…。

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No,094   #2010年03月06日(

施行前…景気対策による恩恵は、農業分野でも受けることができました。私たち上伏見集落の水路は、昔ながらの土側溝という整備されていない水路がほとんどです。田植え前と夏の2回の水路清掃は、泥上げと草刈り作業があり、私たち高平地区水利組合は少人数の受益者により、重労働を強いられていました。また、豪雨による水害はたびたび発生し施行前、土側溝を破壊して私たち農家の負担を増大させました。今回の景気対策は、長年にわたり苦しめられてきた重労働と水路管理から、私たち5人の受益者を解放することになります。何を今更と、思う方々もいるかもし施行後れませんが、鳥海地域における農業基盤整備は、未だに遅れているのが現状です。水路の未整備はもちろんのこと、圃場整備も手つかずの状態です。と、いうより手を付けられない農業情勢になっています。米の値段は下がり続け、農家が安心して農業を続けられる状態ではないの施行後です。そんなとき、補助事業とはいえ農家負担が伴う工事には、消極的な農家がほとんどなのは必然的なことなのです。では今回、何故私たち組合がリスクを冒しても事業を実施することになったかというと、後継者がいる世帯といない世帯が半々であり、このままだと農地を保全すること自体に危機感を持ったからです。祖先から受け継いだ農地を守ることが家長の最大の仕事であり、そのことを受益者5人が共通の課題として認識したのです。ただ、借り入れに伴う償還が今後5年間続くわけで、5年後の米の値段は想像もつきませんが・・・。

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No,093   #2010年03月05日(金)

過疎化が進む地域であれば、少子高齢化の問題を抱えていることでしょう。鳥海地域には、川内、直根、笹子の3小学校があります。以前は、小川、百宅小学校があったのですが、少子化により30年前ぐらいから現在の3校となっていますが、平成25年度からは一つの小学校に統合します。建設場所は、現在の鳥海中学校に隣接するような計画になっているようです。今から40年前の私たちが小学校の頃は、5校に約200人の生徒がいましたが、その20年後の私の長男の頃は約100人に半減しました。そして現在は、1年間の出生数が40人程度と更に半減以下になってしまいました。少子化は全国的な減少といいながら、減少速度が速すぎるのが田舎の特徴のような気がします。鳥海地域も例外ではなく、その速度の速さにビックリしてしまいます。若者が少なく、結婚しない(できない?)人が多ければ必然的な結果なのかもしれませんが、これを打開するための方策を急がないと、益々加速して行くことが懸念されます。サークル「山鳩」では、中学校3年生の子供たちを対象にした、高校受験対策のための塾の開講に協力しました。勉強は勿論ですが、魅力ある鳥海地域を愛していただくために、こんなサークルがあることを、そして地域全体が子供たちのために協力的であることを認知してほしいと思っています。そして将来、鳥海地域に帰って来ることを願って・・・。

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No,092   #2010年03月04日(木)

ふきのとう厳しかった鳥海の冬も、もう終わりでしょうか?雪がドンドン解けていくのが見え、バンケ(ふきのとう)も顔を出し、春が近づいている気配を感じ取ることができます。皆さんも同じでしょうが、私も季節の中では春が大好きです。寒さに耐えながら除雪作業に追われ、厳しければ厳しいほど春の訪れが嬉しくてしょうがありません。子供の頃は、自転車を出して乗れることに最高の喜びを感じました。大人になってからは、ズボンの下に履いているタイツがいらなくなったときに春を感じていました。最近は、タイツも履いていないので久保橋からの子吉川、車のタイヤをスタッドレスから普通タイヤに替えるときに感じています。今年の冬は、例年より雪が少なかったような気がしますので、その分、春を待ち遠しく感じないように思います。特に今年の冬は、1月に8日間の雨の日があったのは、珍しいのではないでしょうか?本来雪になるはずの水分が凍らないで雨になるのは、やはり地球規模の温暖化のせいでしょうか?雪が降らない分、楽をすることはできましたが、このツケが夏に影響を与えなければいいのですが・・・。農業もやっている私としては、冷夏にでもなり農作物に被害が及ばないように祈るだけです。やはり、冬は冬らしく寒くて雪が降り、夏は夏らしく暑い日が続かないと、人間も自然もダメになってしまうのではないでしょうか?

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No,091   #2010年03月03日(水)

レッグマジックマシーン東京に行ってきたため、毎日続けていたものを休まざるを得ないことになりました。NO,65(2月5日)に掲載している「レッグマジックマシーン」です。毎日髭を剃る2〜3分間、150回程度実施するように心がけています。髭は毎日剃りますから、剃りながら実施するレッグマジックマシーンを続けることは簡単なことで、忘れることも無いのです。いわば習慣化することが、長く続ける秘訣なのは皆さん知っていることでしょうが、どうやって習慣化するのかが問題だと思います。私の場合、何々しながらやることが習慣にする近道だと考えています。それも毎日しなければならない行動に、付随してやることが楽に習慣づけする秘訣だと考えています。4月から休まず実施していますので、やられなくなるとなんだか気持ち悪く互理楽の足あとなる気持ち分かりますか?毎日実施している歯磨きを、やれないのと同じような感覚です。後1カ月で1年になろうとしていますが、下半身が鍛えられているのを感じることができます。ただ、一時期痩せたのですが、ここにきて体重がアップしていますので、油断は禁物です。互理楽の足あと(NO,41)も、毎日やろうとしている一つです。こちらは、歯磨きをやるときに踏むように心がけています。素足で上がると、程良い刺激と肌触りをクルミの殻から感じ取ることができます。何よりも、知的障がい者が頑張って手作りした製品ですので、木のぬくもりと共に温かさが伝わってきます。間もなく発売を開始いたしますので、皆さんのご協力をよろしくお願いいたします。なお、12月3日から始めたこのコーナーも、無事3カ月になりました。今後とも、ご愛読をよろしくお願いいたします。

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No,090   #2010年03月02日(火)

2月28日、東京滞在2日目を報告します。「東京に来ても目が覚める時間は同じで、午前2時になると本能的に時計を見てしまう。同室の妻と娘に悪いので、我慢して布団の中にいるが1時間が限度で、3時に起きてフロントの側にある無料マッサージ機で疲れを癒す。1時間続けて部屋に戻り、前日の写真をパソコンに取り込んで整理をする。妻と娘からは、パソコンの持参をけなされてしまったが、ここから力を発揮することに…。朝5時半に玄関が開くのを待って、上野駅周辺を散策することにしたが、今日も雨…。晴れ男の私としては納得がいかない。おそらく、妻と娘のどっちかが雨女だろう。上野駅からホテルまで15分かけて歩いたコースが、5分で行けるコースを発見して満足して帰って報告したが、それより私のイビキで寝られなかったことを二人から攻められる。前日の夜行列車でも同じ状態で、二日間連続だっため怒りは頂点に…。と言われても私が悪いわけ?27日の様子をサセキュリティシステムイトにアップするため、管理人にメールしたが送信されない。プリントアウトしてファックス送信することにする。午前10時にホテルを後にし、レクチャーした最短距離を上野駅まで向かい、夫(父)の株を上げたつもりでいたら、部屋にお土産を忘れたとのこと。ここで一気に存在を示すために、雨の中をイヤな顔一つせずにホテルまで颯爽と向かい、10分で往復してお土産を確保する。巣鴨駅で下車し、観光しながら西巣鴨まで歩くことにしたもったいないマーケットが、結構長い距離で持病の腰痛が悲鳴を上げはじめた。蕎麦屋さんに寄り昼食を取ったところ、壁に張り紙があり秋田のお米を使用しているようだったので、聞いたところ旧雄物川町の米だった。二日間付き合っていただいた不動屋さん(株)エステートナビの中嶋芳樹さんは、今時の若い者とは違い良く気のつく感じのいい青年だった。高校で硬式野球をやり甲子園を目指し亀戸ホルモン・恵比寿店たとのことで「野球人に悪い人はいない」を持論としている私は、信頼しきっていた。二日間で4棟を見せてもらい、西馬込駅から歩いて10分の物件に決め、3月27日、28日に引っ越しを済ませることにした。その後は、単独行動をとり恵比寿駅に向かった。「もったいないマーケット・秋田県」が開催されていたからだ。県職員で担当の佐藤恵一さんと初対面でしたが、なんと鳥海町にお父さんの実家があるとのことで、私がよく知っている方の家でした。10分程度の会話を終え、恵比寿駅東口に向かう途中、数人が開店を待っている店を発見し私も椅子に座った。5時半が開店なので後20分待てば良いとお思い座っていたら、お客がドンドン集まってきて開店時間には30人を超えていた。「亀戸ホルモン・恵比寿店」は、東口から歩いて5分程度行ける店で、今度はホルモン大好きな娘と来ようと思った。」というような、長い一日でした。

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No,089   #2010年03月01日(月

百宅地区の冬景色豪雪地帯の鳥海町で、最も積雪が多いのが百宅(ももやけ)集落です。現在は30戸余りの集落ですが、その昔は100戸(百)ほどが住める地域として、弘法大使が名付けた集落が百宅の語源と言われています。秋田県の名勝及び天然記念物第1号で、日本の滝100選でもある「法体の滝」までは3分程度で行ける集落ですが、冬期間は2キロメートル手前で車の通行ができません。どうしても冬の「法体の滝」を見たい方は、かんじきやスキーの準備をお忘れなく・・・。この集落には、弘法大使にまつわる七不思議があります。@百宅の猫には虱がいないA下百宅にはドロオイ虫がいないB百宅にすむウラツブは先がとがっているC空の川があるD葛が無いE百宅の一番鶏は鳴かないと、6しかないないのに七不思議というのが、7つ目の不思議なのかもしれません。平家の落人が開いたとも言われる百宅集落は、標高がおよそ400メートルあります。水百宅から見た鳥海山稲を栽培していますが、昔は飢饉によって米が全く採れないときもあったため、寒さに強い蕎麦を栽培して飢えをしのいでいました。この蕎麦を「百宅ソバ」といい、鳥海町では増え続ける転作面積に、このソバの作付けを奨励し、最高で100ヘクタールの作付けとなりましたが、現在では80ヘクタールほどの作付けが行われているようです。この「百宅ソバ」の実を製粉して、100パーセント地元のソバ粉を使用したソバを提供するのが、そば処「ももや」です。国道108号沿いにある直売所「菜らんど」の隣にありますので、是非ご利用ください。私も、しばらく行っていないので、そろそろ行ってみようかな・・・。





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