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事務局の独り言【2010年7月】
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No,241 #2010年07月31日( 「東京リポート#2」
昨日の居酒屋でのことを報告したいと思います。港区芝の娘の会社の近くで待っているとき、どの居酒屋に入ろうかと何回か行ったり来たりしたのですが、「7時まで飲み物半額」と「6時まで入店の方飲み放題1350円」の店で悩みました。最終的に飲み放題を選んで入店しましたが、自分のノルマとしては6〜7杯はやっつけようと思っていました。最初はもちろん生ビールで、一杯目はどこに飲んだから分からない程で、すぐに2杯目を頂きました。枝豆と色んな焼き鳥を1本ずつ頼んで、ビールを3杯目、4杯目と飲み続けましたが、5杯目に冷酒に切り替えました。また、この冷酒が美味しいのなんのって・・・。これをこのまま飲んだら、グデングデンになって娘から叱られると思い、6杯目からはレモンサワーに切り替えました。このころから酔いも回ってきて、東京の友達や知り合いに電話をかけまくりましたが、内容がイマイチ覚えていないのが怖いですよネ。今日の6時から「笑飯田橋東口駅前店」で、友達が集まってくれて一緒に飲むことになっています。7人ぐらいが来るそうですが、誰が来るのかは行ってみてからの楽しみですネ。8月7日には高校のクラス会が、8月21日には中学校の同期会が予定されています。50歳になってから、妙に昔の仲間に会いたくなってくるのは私だけなのでしょうか?今日も、昔話に花を咲かせて楽しんできます。
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No,240 #2010年07月30日(金) 「東京リポート#1」
東京都庁の展望台より昨夜本荘から9時20分出発した夜行バスは、6時10分には東京駅に着きました。駅構内のソバ屋で朝食を済ませ新宿に向かいました。 あいにくの雨でしたが、目的の東京都庁へは地下道を歩いて行けましたので、傘はいりませんでした。ただ、駅からだと20分はかかりますので、結構距離はありましたネ。誰でも行ける無料展望台は9時半からなので、都庁内の喫茶店でアイスコーヒーを飲みながらスケジュールを確認し、時間調整しました。初めて昇った45階の展望台は、東京を一望できる素晴らしい眺めでした。なぜか私以外のほとんどは美彩館に展示されていた「互理楽の足あと」中国人で、中国マネーが幅を利かしている一面を垣間見ることができました。また、昼食を食べた吉野家でも中国人が多く働いていました。今回の上京の目的である「互理楽の足あと」のPR活動は、最初に有楽町駅前にある「秋田ふるさと館」へ行き、続いて品川駅前にある「あきた美彩館」に行きました。美彩館には以前からお願いした経緯があり、既に展示されていました。それも、あの韓国映画「アイリス」のPRブースの中にあり、目立ってはいるのですが違和感を覚えずにはいられませんでした。支配人に、展示のお礼を述べて帰ってきました。そして、すぐ近くにあった「品川よしもとプリンスシアター」で行われた「ステージマンショー」を観てきました。7月から始まったばかりだそうで、すごいタイミングでした。楽しい2時間を過ごしてから、娘と待ち合わせの6時まで、居酒屋で飲みながら待ちました。娘と合流してから再度別の居酒屋に行き、宿泊場所の西馬込にナントかたどり着きました。
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No,239 #2010年07月29日(木)
互理楽の足あと今晩から東京に向かいます。羽後交通の夜行バスで、本荘を9時20分に出発すると東京駅日本橋口に6時頃に着きます。本当は夜行列車で行こうとしたのですが、今晩と帰りの往復の切符が取れなかったのでバスに切り替えました。どうしても寝ていく夜行の場合は、バスより列車の方が疲れないと言われていますが、私の場合は出発までアルコールをたくさん飲んで、すぐ寝れるようにしてから乗り込みますので、バスでも列車でも同じなのです。5〜6時間熟睡してから目を覚ますと、夜が明け始め東京が近づいてきます。娘からは「6時に着いて何しているの?」と言われましたが、朝食を食べたりコインロッカーに荷物を預けたりすれば、10時ぐらいになりますので営業はできると思います。今回の上京は、あきたスギッチファンドの助成事業に採択された「知的障がい者との交流事業及び自立支援事業」の一環で、「互理楽(ごりら)の足あと」の売り込みのためのものです。あきた美彩館(品川)や秋田ふるさと館(有楽町)、秋田県東京事務所(永田町)、ゼロダテアートセンター(御徒町)等に行って、チラシを配布しながら商品を置いていただくように交渉してきます。鳥海地域の道の駅や直売所、温泉施設に置いている「互理楽(ごりら)の足あと」も売れ行きが好評です。クルミで作っていることを知った市民からは、大量のクルミを寄付していただいこともありました。由利本荘市全体での活動に発展していったら、益々忙しくなるでしょうが、知的障がい者と触れ合える貴重な経験となることでしょう。
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No,238 #2010年07月28日(水)「環境に優しい防除を」
合歓の花と鳥海山今、田圃の作業では農薬散布が盛んに行われております。わが家でも、今日の朝と昨日の朝で防除作業を終了しています。本来であれば一日の朝で終わるのですが、今回は防除機械が修理を終えたばかりで、色々トラブルがあったため一日目で再度修理に出して、二日間かかって防除を終えました。鳥海地域では、有人ヘリコプターによる薬剤散布が今でも実施されており、今年も8月16日に予定されています。以前は2回の実施でしたが、環境問題が取りざたされるようになってから1回になりました。他地域では無人ヘリコプターに切り替えていますので、現在も有人ヘリを実施している地域は減っているはずです。有人ヘリは、広範囲を一気に散布することが出来ますので、省力化とともに少ない経費で済みますが、田圃以外の水路や川にも散布してしまいますので、生態系に影響を与えていると言われています。ホタルが少なくなったのも、有人ヘリの影響だと言われていますが、最近では少しずつ増えていますので、薬剤の中身の問題ではないかと思っています。その点、無人ヘリは小回りがききますので、田圃以外に飛散する確立は少なくなり環境に優しい防除となります。残念ながら、鳥海地域に無人ヘリの集団や組織が無いため実施していませんが、隣の矢島や由利には組織がありますので、調整を取れば実施は可能になるはずなのですが・・・。防除機械による散布は、高齢化している農業にとっては重労働の作業ですので、有人か無人かの違いはあってもヘリコプターによる散布は欠かせませんので、今後も続けて行ってほしいものだと願っています。出来れば環境に優しい無人ヘリで・・・。」
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No,237 #2010年07月27日(火)「温かい目で…」
大相撲名古屋場所が終わりましたが、3場所連続で全勝優勝した白鵬の涙にはビックリしてしまいました。優勝したうれし泣きではなく、15日間を終えたホットした安堵の涙だったのか、はたまた相撲協会に対する悔し涙だったのか、私には分かりませんが、1人横綱としての責任を果たすため張りつめた15日間だったことでしょう。私は、普段から相撲は見ませんが、今回の野球賭博に関する一連の報道には、ちょっと大げさなのではないかと思っています。確かに、相撲は日本の国技ですので厳格であるできなのでしょうが、関取が野球賭博をしたことで永久追放となるのは、私には理解しがたいことです。相撲協会がそのような厳しい処分にしなければならなかった理由には、これまでの一連の出来事に対する処分の内容が曖昧だったことが挙げられ、今回の事件はそれらの戒めのために利用された感があります。スポーツマンが過ちを犯したら、そのスポーツで見返してやることで更生したことを世間から評価してもらい、次のステージへのステップとなり人間が大きくなって行くのだと思います。ましてや相撲取りが、他の方法で生きて行くには大きな障害があるでしょうし、困難が待ち受けていることでしょう。「罪を恨んで人を憎まず」という言葉がありますが、取り返しの付かないような罪を犯したのであれば、重罰はしょうがないことでしょうが、野球賭博がどの程度の罪なのかは私には分かりません。相撲協会が決めたことをとやかく言うつもりもありません。ただ、処分した相撲関係者の将来を案じて、その後のことを温かい目で見ていってほしいと願っています。相撲協会に貢献してきた方々ばかりだと思いますので・・・。
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No,236 #2010年07月26日(月
多くの人が楽しんだ子吉川フェア海の日を含む7月の3連休の初日と二日目は、第15回子吉川フェアがありましたので休むことが出来ませんでした。19日が本番で、前日が準備のための出勤でした。各総合支所の建設課は5〜6人しかいないので、色んな仕事を掛け持ちでこなさなければなりませんし、休日に開催する鳥海地域の各種イベントにもかり出されます。合併してからは、本庁で開催するイベントにも出なければならないので、総合支所の職員の負担は増える一方です。ましてや毎年、数十人規模で職員を減らしているのですが、そのしわ寄せのほとんどが総合支所にきているように思われます。総合支所の職員は減り続け、庁舎内はガランとしてきました。職員を減らすことはかまわないのですが、仕事を減らさないで支所の職員を減らすのはどうかと思います。部署によっては、本庁へ機能を集中するようにしているところもありそうですが、まだのところが多いように思われます。今回のイベントの前日の準備ぐらいは、本庁の職員で対応してもらいたいと思い担当者に伝えました。鳥海から本荘までは往復で1時半かかりますが、その時間は勤務時間とは認められませんので、1〜2時間の準備のために遠くから出て行くのは効率的ではないと思います。ナンか愚痴っぽくなりましたが、次年度からは改善してくれると期待しています。ところで、子吉川フェアなんですが、色んな催し物が多彩に行われ、子供からお年寄りまで楽しいんでいました。私は駐車場係で車の誘導をしていましたが、鳥海からの参加者はほとんど見ることはできませんでした。由利本荘市のイベントなんですが、まだまだ本荘のイベントなんでしょうかね?
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No,235 #2010年07月25日(「一粒で二度美味しい」
川北先生によるまちづくり研修会昨日は、『県民創出の協働の「まちづくり」』と題した研修会が遊学舎でありました。始めに主催者である秋田県企画振興部地域活力創造課が、県の協働施策について説明があり、続いて「人と組織と地球のための国際研究所」代表の川北秀人氏を講師に、「自治を回復し、まち・むらの課題をまち・むらの力で解決するために」と題したテーマで、全県から集まった40人あまりの参加者が聞き入りました。前日までの1泊2日のワークショップの研修会で疲れていたせいか、前半は眠くて大変でしたが、後半はナンとワークショップによる課題解決のためのプレゼンテーションをやることになり、勉強したことがいきなり役に立つ場面に直面しました。ましてや、自分が普段感じていることを提案できるテーマでしたので、与えられた時間を大きく残して完成することが出来ました。勉強したことが直ぐに役立つことは、すごくラッキーなことであり、また嬉しいことでもありました。何でも興味を持つ、私ならではのことだと自己満足しながら一日目の研修を終えました。研修後は懇親会があり、それを楽しみにしていた私は運転手を頼んで秋田市に向かっていましたので、缶ビールを思いっきり飲んできました。NPOや団体、行政、NPOセンターの職員との交流会は、同じ目的に向かって歩んでいることもあり、それぞれの情報交換の場となりますので貴重な時間であり、私は一番大事なことだと思っています。特にアルコール大好きな私にとっては、一粒で二度美味しい状態なので最後まで楽しいんでしまいます。ただ、8時を過ぎると寝てしまうことがありますので、要注意ですネ。
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No,234 #2010年07月24日(「市民自らの地域づくり」
研修中の私です鳥海町の職員から由利本荘市の職員に変わって5年が経過しましたが、今回、秋田県自治研修所が主催する研修に初めて参加させて頂きました。由利本荘市の場合は、全職員の中から研修を希望する方を募集して自治研修所に報告し、決定した受講者は服務免除で参加することになります。今年の参加希望者は、私を含めて10人でした。今回の「地域づくりに活きるワークショップ企画・運営法」の受講者25人中、県職員が14人で市町村職員が11人でしたが、同じ由利本荘市から行った1人を除いた23人は、出張での参加なので旅費は支給されます。服務免除の場合、年休は取らなくても良いのですが交通費は出ませんので、あくまでも自主的な参加になります。興味のある分野に申し込みしますので、旅費を支給されてイヤでも参加しなければならない出張と、どちらが良いのかは微妙ですが由利本荘市としては、旅費を支給せずに職員研修に行った実績は残せますのでメリットは大きいのでしょう。今回の研修のテーマは、私としては非常に興味のある分野でして、これまで行政主導だった地域づくりから市民主導へ切り替える場合、ワークショップは欠かせない手法だと思ったからです。建設課に勤務している関係上、住民からの要望の電話や意見が多く届きます。「市道の草が伸びたので刈ってくれ」「道路が壊れたので補修してくれ」「除雪が遅い」「除雪で家の前に大きな塊を置いて行かれた」・・・。建設課でやらなければならないこともありますが、市民自らがやれることはやって、それでも出来ないことを行政が実施するようにすべきだと考えます。幸い鳥海地域は、以前から市道の草刈りは地域住民が集まって刈っていますが、都市部になると「市道は市の管理だから市で刈るのが当たり前」と、いった考えが多いように思われます。このような部分をワークショップで解決できないかと考えている、今日この頃です。
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No,233 #2010年07月23日(金)「自分の性格を理解して」
早朝の下直根集落昨日は、記念すべき私の誕生日でしたが、1泊の研修に参加していたため寂しい誕生日となりました。と、言っても毎回そんなに楽しい誕生日をしているわけではなく、自宅で妻が買ってきてくれたショートケーキをみんなで食べるという、ごく普通(質素?)な誕生日が佐藤家の通例となっているのです。結婚前はプレゼントもあったような気がしますが、最近は私の行いが悪いせいか全くありませんし、特に期待もしていませんが・・・。佐藤家では、私の誕生日以降8月1日に長女、8月25日に長男、9月8日に父と続きますのでケーキが食べられる日が続きます。アルコールが大好きな私は、甘い物も好きなので、こんな体型になってしまい、先日の人間ドックでも当然のことのようにメタボで引っかかっています。それでも痩せる努力をしないのは、「他人には厳しく自分には優しく」の精神が抜けないからなのかもしれません。ただ、昨年の4月から始めたレッグマジックマシーンは、今でも続いていますので気に入った物はやるという、優柔不断な性格は変わりそうにありませんネ。そして私の性格の中で特に厳しいのが、「待ち合わせ時間を過ぎるとイライラすること」です。要するに、せっかちなので待てない性格なのです。だから、人を待たせるようなことはしないようにしていますので、15分前には着くように心がけています。中には、平気で遅れてきて謝らない方もいますので、そんな人はちょっと軽蔑してしまいます。でも、もしかしたらそういう人って、他の人が遅れてきても許せる人なのかもしれないので、私には全く理解できません。世の中、色んな性格の人がいて成り立っているのですから、自分の性格を理解して他の人と合わせることが大切なのかと、51歳の誕生日に今更気づいた私でした。
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No,232  #2010年07月22日(木)「51歳の誓い」

菜の花と鳥海山今日は、何の日がご存じでしょうか?7月22日は、あの巨人軍の原監督の誕生日です。そして、私の記念すべき誕生日でもあり、目出度く51歳になりました。この歳にして目出度いとは思わないのですが、知人から「51歳まで生きて来られたことに対する感謝の気持ちが大切だ」と、諭されて納得しました。そうですよね、世の中には51歳まで生きられなかった方がたくさんいるはずですから、その方々の分まで精一杯生きようと思うようにしました。先日も、同期生が不慮の事故で亡くなりました。中学校の同期生76人中(小川地区は除く)、これで4人目の方が亡くなりましたが、51歳までで4人が多いのか少ないのかは分かりませんが、16歳でバイクの事故で亡くなった故村上豊君の死は、若かった私にはあまりのショックでした。同期生が私の家に集まり、みんなで弔辞を考えて全員で書いたのが、ついこの間のように思えてなりません。何故か誕生日から死に話題が変わってしまいましたが、今日の私の誕生日を、これまで多くの方々にお世話になりながら生きて来られた、感謝の日とすることにしました。と、いうものの今日から秋田市に1泊の研修に行くので、今年は秋田市で誕生日の夜を迎えることになります。ひとり寂しく、自室で缶ビールで乾杯して、生きていることに感謝したいと思います。そしてこれからも、「周りの多くの方々のお世話になりながら、精一杯生きていくことを誓う」51歳の誕生日にしたいと思っています。皆様にはご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします。
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No,231  #2010年07月21日(水)「楽しかった交流会」

鳥海登山前夜祭7月18日の夜には、鳥海登山の前夜祭としてサークル「山鳩」のメンバー5人と、近所の知人2人が加わり総勢15人で、山鳩会館において交流会が行われました。最初は、屋外でのバーベキューと生ビールで乾杯し、翌日の登山の安全を祈願しました。その日は、日中が真夏日となる猛暑で脱水症状になりそうになるほどでしたので、生ビールの味が格別でした。満天の星空の下、焼き肉に舌鼓を打ちながら会話にも花が咲き、10リッターの生ビールも無くなりましたので、山鳩会館内に会場を移して再び宴会を開始しました。仕事を終え、農家民宿「開墾の郷」の女将さん鈴木和子さんも合流し、宴会は更にヒートアップしました。今回の交流会で開墾の郷の鈴木さん(中央)も参加は、サークル「山鳩」とAIU(国際教養大学)秋田応援団、ひだまりファーム、遊学舎、農家民宿経営者、地域の方々との情報交換の場となったわけですが、今後もこのような交流会が出来れば嬉しいですね。因みに、遊学舎の二人は「開墾の郷」に宿泊し、AIU(国際教養大学)秋田応援団の4人は山鳩会館の2階に、ひだまりファームの草皆君と私は1階に寝たというか、酔いつぶれてしまいました。それでも、私は翌朝は2時に起きて後片づけをしてから、登山の準備を済ませ山鳩会館4時半の出発には余裕で間に合いました。2階の4人も4時には起床して、出発には間に合ったのですが、靴が合わないと途中で引き返したり、後続の車が道を間違えたりして、払川に到着したのは予定の時間より30分も遅れてしまい、サポートの二人にご迷惑をかけました。この後は、No,229に続きます。
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No,230  #2010年07月20日(火)「エンドレスな草刈り作業」

草刈り作業は重労働です春の田植え作業と秋の稲刈り作業は、農繁期という言葉でくくられていますが、この間に除草剤の散布や化学肥料の投入、農薬の散布等の作業もあります。そして終わりのない作業が草刈りです。田圃の畦の草刈りは、通称「ブッシュ」と呼ばれている草刈り機で行いますが、私の場合は1ヘクタール程度なので朝の1時間半の作業を、10日間ほど続ければ終わりますが、5ヘクタール以上もっている農家は、1回目の草刈りが終わったと思ったら2回目をしなければならないほど草が伸びている状況になり、春から秋までず〜っと草刈り作業をしていることになります。JAでは、カメムシ被害をなくするために共同の草刈り期間を設定していますが、2回目の今回は7月10日から20日までとなっていますので、今日で終わらなければならないのですが、まだ2〜3日かかりそうです。私の面積でもこのような状態ですから、多く所有している農家は日中でも刈らなければ不可能です。炎天下の中での草刈り作業は、かなりの重労働となりますので、私は朝仕事で終えるようにしています。昔ブッシュの無かった頃は、草刈り鎌で作業をしていましたので、想像が付かないぐらいの重労働だったことでしょう。田植えや稲刈りは、機械化によって重労働からは解放されましたが、時代が変わっても草刈り作業は、未だに重労働に変わりはありません。終わりのない草刈り作業を軽減出来きるような、良いアイデアはないものでしょうか?
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No,229  #2010年07月19日( 「鳥海山山頂より」

,達成感一杯の鳥海登山今日は、鳥海山の登山に行ってきました。秋田県の最高峰である鳥海山は2,236mですが、新山には行きませんので2,230mを踏破してきたことになります。メンバーは、AIU(国際教養大学)秋田応援団の神団長ほか3人と遊学舎の2人、ひだまりファーム代表の草皆君と私の8人に、鳥海山岳会の三浦俊雄さんと、私の知人の佐藤正利さんの協力をいただき総勢10名での登山となりました。早朝5時45分に矢島口の払川の駐車場を出発し、残雪が多い登山道を一歩一歩踏みしめながら登り始めました。サポートの二人と私以外の7人は、登山そのものが初めての経験であり、少しの不安を抱えてのスタートとなりました。6合目の賽の河原を目前にし、一人が体調不良のため早々とリタイアしてしまい、どうなることかと心配しましたが、その後は少し遅れる方はいましたが7合目の御田に7時過ぎに到着しました。目の前には雪渓の壁が現れ、滑らないように注意しながら登り切ると8合目の七ツ釜で休憩。沢水を汲んで喉の渇きを抑えながら、身体の疲れを癒しました。この辺りから疲れがピークに達した大学生は、唄を歌いながら登り始めました。得意の天神あやとりの唄である「笹子(じねご)おはら節」の歌い手が二人いたこともあり、軽快な節回しを披露しながら歌っていました。途中から霧がかかってしまい、9合目の氷の薬師に到着したのが8時半頃で、上から39人の団体が降りてきました。岩手県気仙沼からの6〜70代の方々で、さらに青森県からの10数名の団体ともすれ違いました。山頂に早く着いた組が9時半頃で、遅い組も10時には到着してガスで何も見えない山頂で記念撮影をして、午後1時には払川に到着しました。疲れた顔にも、満面の笑顔が戻っていました。
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No,228  #2010年07月18日( 「川と親しむ」

カヌーは難しいけど楽しい!今日は、第15回子吉川フェアがボートプラザ・アクアパルで行われますが、その準備が昨日ありまして行ってきました。主な仕事はテントを建てることで、以前から各種イベントでテントを建てている私にとって、得意の分野でありましてドンドンやっつけてしまいました。最後にカヌーを運搬したのですが、何でも興味を持つ私はカヌーに乗りたくなって担当者にお願いしたら、快く了解していただき準備に手伝った他の二人と3人で体験させてもらいました。天気も良く無風状態で、穏やかな子吉川の水面は波もなく絶好のコンディションでした。3人とも全く初めての体験でしたが、約30分ほどでナンとか乗れるようになりました。と、言っても思うようには進みませんでしたが、前進したりUターンしたりできるようになったので、満足してスタートした位置に引き返しました。カヌーはひっくり返ると起きられなくなる心配があり、不安定な乗り物という意識があったのですが、意外と安定感があり簡単にはひっくり返ることはありませんでした。暑かったせいもあり、川の上は気持ちが良いほど涼しくて、ずーっといたいぐらいでしたが、午後からはスポ少野球の審判があったので急いで帰ってきました。鳥海地域を流れる子吉川は、急流で浅瀬となっているためカヌーに乗るのは難しいですが、同じ川であっても場所が違うと乗れることに気づきました。他の市町村を通ることなく、由利本荘市だけを流れる子吉川は、鳥海山と共に市のシンボルとなっています。山があり川があり、そして高原もあり海もある由利本荘市は、偉大な財産を抱える魅力ある街ではないでしょうか?
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No,227  #2010年07月17日( 「応援を力に変え」

昨日は、鳥海陸上競技協会の総会がありました。バイク館で開催された総会には、23名の会員のうち6名しか参加出来ませんでした。いつもは10名程度の参加になるのですが、金曜日の開催だったせいか少人数での総会となりました。鳥海陸上競技協会は平成4年に設立され、今年で18年になりました。会員は元陸上部出身者をはじめ、陸上競技に興味のある方々で構成されており、陸上競技やマラソン大会の役員を努めたり、陸上競技の底辺拡大のための活動を実施しています。平成5年には「町の子供たちの走っている姿が見たい」という単純な動機で始めた「第1回オコジョマラソン大会」は、鳥海陸上競技協会が主催で始めましたが、その後「鳥海山ハーフマラソン大会」に衣替えして引き継がれました。そして合併後は「鳥海高原マラソン大会」と名前を変え、現在でも続いています。今年も8月29日に、南由利原青少年旅行村を会場に開催されます。ハーフマラソンのコースは、フォレスタ鳥海の直ぐ近くにある鶯川大橋を折り返すコースで行われます。天気が良ければ、雄大な鳥海山を眺めながら鳥海高原を走れるのは贅沢ですし、何より美味しい空気を腹一杯吸い込めるのも特典ですね。ただ残念なのは、民家が少ないたため応援者がまばらでランナーにとっては寂しいかもしれません。ランナーにとっては、きついときの応援が何よりも力になるのですから・・・。鳥海陸上競技協会からも数人の役員と、唯一ランナーとして走る佐藤久通(ひさみち)君がいます。今年は例年より練習も積んでいるようなので、かなり期待できるかもしれませんネ。
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No,226  #2010年07月16日(金) 「南こうせつは、すごい」

昨日は、宝くじ・まちの音楽会・南こうせつwithウー・ファン心のうたコンサートが、本荘文化会館で行われました。前売り券が2000円と安いせいか、会場は2階席が埋まるほどの盛況ぶりで、大いに盛り上がりました。南こうせつのコンサートは初めてであり、フォークソング時代の最盛期を生きてきた私にとって、かぐや姫の存在は特別な思いもあり、じっくりと聞かせてもらいました。また独特の語りも巧妙で、お客さんを飽きさせない話術は流石でした。6時半開演で、妹、神田川、夢一夜、満天の星などを歌い上げ、途中15分間の休憩を挟んで9時15分まで、楽しく充実したコンサートでした。特別ゲストのウー・ファンは、中国の伝統的な楽器である古筝(こそ)を奏で、その中国独特の音色は観衆を魅了しました。そして、南こうせつとウー・ファンの共演と続き、最後は由利本荘市のコーラスグループの皆さんとの共演では、数回の練習とは思えないほどの歌声を披露するなど素晴らしいものでした。今回は、由利本荘市が宝くじの収益金の助成を受けてのコンサートのため、チケットが格安の価格での提供であり、これが通常の5〜6千円のコンサートだったらどうだったでしょうか?おそらく、1階席の6〜7割程度しか入らなかったのではないでしょうか?今、文化交流施設の建設が進められ、2年後には完成する予定だそうですが、コンサートなどの興行が開催された場合、どの程度のお客さんが入るのかとても心配です。私が心配してもしょうがないのですが、由利本荘市民がもう少し、そういった分野に興味を持っていただけたらなあ〜と、思う今日この頃です。
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No,225  #2010年07月15日(木) 「人間ドック…」

どう見てもメタボな私(仮7級と撮影)昨日は人間ドックに行ってきました。毎年恒例のこととはいえ、決して楽しみにするようなものではないし、かと行って嫌いかと言えばそうでもありません。胃カメラさえ飲まなくてもよければ、そんなに苦痛なことではありませんので・・・。強いて言えば、バリウムを飲んだ後の処理が若干辛いものがありますが・・・。順調に検査を終え、900円分の昼食に向かったわけですが、メニューを見れば800円のしかないので、しかたなくトンカツ定食を頼んだら「大盛りにしますか」と言われ、どうせ900円分まで食べられるのだからと思い「ハイ」と言いました。間もなくテーブルにトンカツ定食が届きましたが、ご飯の多さに思わずビックリしてしまいました。朝食も取っていなかったので大盛りでも良いと思ったのが間違いで、いくら食べてもご飯の減るのが見えないぐらいの盛りでした。大食漢の私も、残してしまうほどの大盛りでしたので、皆さんも一度頼んでみてください。因みに私が行った病院は、由利組合総合病院です。検査結果による指導では、毎年のことなのですがメタボリックシンドロームに引っかかってしまい、食事や運動について指導されました。ただ、「メタボですが血液検査や肝機能は問題ないのですが、何かやっていますか?」と質問され、野球をやっていることと献血をしていることを話し、「ただのデブではありません」と話したら納得していました。そして、詳細な検査の結果は4週間後に届くそうで、昨年のように胃カメラを飲まなければならない事態だけは避けたいのですが、結果が届くのを恐る恐る待つしかありませんね・・・。
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No,224  #2010年07月14日(水)「BRONZE」

1000人ライブでのブロンズNo,122,182で紹介しているブロンズが、世界三大ジャズフェスとなっているスイス・モントルージャズフェスに昨日(7/13)出演しました。5月30日の本荘文化会館で行われた1000人ライブでは、大いに盛り上がって世界進出をお祝いしました。そのブロンズのメンバーの一人「Bo-ya」は、長男の妻の母親と従兄弟であり、先日の披露宴に招待したのですが今回の準備のため欠席となりました。その代わりに、メンバー全員が書いた色紙が送られ、披露宴当日に飾りました。由利本荘市出身の芸能人では、加藤夏来があまりにも有名ですが、それを追いつき追い越すぐらいの気持ちで頑張ってもらいたいものです。そのためには、由利本荘市の皆さん一人ひとりが応援することが大切になります。地元出身のバンドを育てるのは、やはり地元の方々ではないでしょうか?秋田県人は、上を目指そうとする者の足を引っ張ることが多いようですが、少なくても由利本荘市の皆さんは常識のある方々ですので、頑張ろうとするバンドの足を引っ張ることは無いと思います。世界に通用するバンドが由利本荘市から誕生したら、それはそれですごいことであり、みんなで喜び合えるような関係が大切だと思っています。以前、秋田県立大学を本荘市に誘致するために、本荘市と由利郡が一体となって運動を展開したときの盛り上がりを忘れることは出来ません。あのような一体感を共有することが、1市7町が合併した由利本荘市として、市民が同じ方向を向いて進んでいくことに結びつくのではないでしょうか?
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No,223  #2010年07月13日(火)「明日は人間ドック…」

左から二人目がメタボな私健康であることの有り難さは、病気になったときにヒシヒシと感じるものですが、その健康でいるためのチェックが人間ドックではないでしょうか?1年に1回実施する人間ドックは、私が40歳になったときから毎年続けていますので、今回で12回目になるようです。その人間ドックを明日受診します。これまで、精密検査を受けるようなこともなく健康な状態が続いていたのですが、数年前からメタボリックシンドロームという言葉が聞こえるようになってから、体重を減らすように注意されるようになりました。運動量を増やすことと、清涼飲料水の摂取を減らすことなどが指導されましたが、体重の減少にはなかなか結びつきません。去年の4月から始めたレッグマジックマシーンも、一時的には効果があったのですが、現在も継続して実施しているものの残念ながら・・・。ただ、下半身の強化には効果があり、野球をしても足が痙攣するようなこともなくなりました。今年も、メタボリックシンドロームで指導されることは間違いないのですが、胃の透視検査で済ませようとしている私にとって、胃カメラを飲むようなことだけは避けたいと思っています。胃カメラは大の苦手であり、昨年は残念ながら飲まなければならなかったので、今年はナンとか勘弁してほしいものです。まずは、明日の人間ドックの結果を祈るしかありませんが・・・。
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No,222  #2010年07月12日(月「国民が主役の政治」

数字には感心の無い私なのですが、今回のNO,222には目が留まってしまいました。ぞろ目という数字で、パチンコをやる方々には大好きな数字なのかもしれませんが、ほとんどやらない私にとっては気になりません。なのに何故目に留まったかというと、話題が無くなった来て何を書こうかと迷っていたときに、ぞろ目に気づいたと言うわけです。実は私の職員番号が777で、パチンコをやる方だったら最高に喜ぶ数字でしょうが、私の場合は「ナンか良い番号だな」程度のもので感心はありません。それでも、777には悪い気はしませんし、むしろ内心は嬉しいのかもしれません。数字で気になるのが、参議院議員選挙の結果なのではないでしょうか?民主党が安定多数の過半数を確保できるのか、当選者の数が気になるところですが、自民党が盛り返して改選第1党となりました。民主主義においては、多数決で物事を決めるのが基本ですので、より多くの当選者を輩出することで安定した政治の舵取りを担う政党となりますが、今回の選挙では与党が過半数割れしました。これで、衆参両院の多数派が逆転した「ねじれ国会」となりますので、国会運営が不安定になることが予想されますが、主役は国民であることを念頭においた政治を行ってほしいと願っているのは、私だけではないと思っています。
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No,221  #2010年07月11日(「隣の芝生はよく見える」

奥山放牧場からの鳥海山昨日、三種町スカルパ野球場(琴丘)で野球をやっていた頃、北秋田市や井川町、秋田市で豪雨による被害が発生していたようです。大会会場に近いところで被害が発生するような雨にもかかわらず、試合をしていた私たちは、脳天気な幸せ者なのかもしれません。幸い、由利本荘市での被害がなかったので良かったものの、そのような事態だとすれば野球どころではなかったはずです。私の友達に、九州の指宿から嫁さんに来ている方がいますが「全く雪の降らない地域から嫁いできて、大丈夫なの?」と、20年ぐらい前に聞いたことがあります。そのときの答えが「九州は台風や豪雨で毎年のように被害が発生しているが、鳥海は雪が多いが被害は発生しないから心配はない」と、いうものでした。確かに、鳥海地域は豪雨による大きな被害は発生していません。九州では、毎年のように死者が出たり、住宅が押しつぶされたりする被害が発生していますので、雪を除雪するぐらいだったら何の問題がないのかもしれません。豪雪地帯に住んでいる私は、雪の降らない地域を羨ましく思っていましたが、その話を聞いてからは思わなくなりました。「隣の芝生が立派に見える」のは仕方のないことですが、自分の芝生をしっかりと手入れさえしていれば、隣の芝生は気にならなくなるのかもしれません。まずは、自分の地域をどのようにすれば活性化するのか、みんなで知恵を絞ることから始めませんか?
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No,220  #2010年07月10日(

今日は、早朝から野球に出かけたためHPの更新が遅れてしまいました。会場が三種町なため、鳥海から2時間はかかりますので5時の出発でした。前夜から雨が降っていたため、試合が出来るか心配でしたが、決定が6時半ということで、とにかく会場の近くまで行かないと開会式の8時に間に合わないし、私たちの試合が第1試合ということもあり、雨が降ろうと行くしかなかったのです。秋田市の太平山パーキングエリアで電話をしたところ、試合を実施する方向だということで会場の琴丘スカルパ球場に向かいました。雨は止まずに降るため、本当に実施するのか心配でしたし、やるとしても会場の整備に時間がかかりそうでした。その整備も終了し、試合を開始したのが2時間半おくれの11時になりました。結果はあまり書きたくないのですが、秋田市役所は昔から強いチームですし、負けるのは当然なのかもしれませんが、1対8で7回コールドで負けました。次は、9月第2土日に開催される壮年野球の郡予選が目標となりますが、6年連続で出場していますので、勝つのが当然のようになっていますが、気を引き締めて7年連続での県大会出場はもちろんのこと、昨年の県大会ベスト4を上回れるよう頑張りたいと思います。
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No,219  #2010年07月09日(金)「好きこそものの上手なれ」

昨日に続いて野球について書かせてください。今、私が所属している野球チームは「鳥海クラブ」だけですが、NO,210でも紹介したように500歳野球にも出場するように新チームを立ち上げましたので、40歳以上が出場できる壮年野球とマスターズ野球、そして50歳以上が出場できる500歳野球の大会に出場することになります。このほかにも550歳野球や還暦野球など、上には数多くの大会が準備されています。健康でさえあれば、何歳になっても野球を続けることが可能なのは、秋田県では高齢者の野球が盛んだからです。野球好きの私にとっては、最高に有り難いことですし、今後も末永く続くことを願うばかりです。さて、NO,194でも紹介していますが、日本マスターズ野球大会の由利本荘市・にかほ市の予選大会を優勝し、明日10日に三種町のスカルパ野球場において秋田県大会に出場します。抽選の結果、明日の第1試合8時半から、秋田市代表の秋田市役所と対戦することになりました。8時から開会式がありますので、鳥海の出発時間は5時となります。会場までは高速道路を利用して、2時間を予定していますので到着予定時刻は7時ですが、軽く練習をして試合に備えるにはギリギリの時間なのかもしれません。普段は起きられないメンバーも、好きな野球をするためだったら目覚まし時計がなくても起きることができます。結局は気合いの入れようなのです。明日、遠足に行く日だったら起きるのですが、テストの日だったら起きられないことがありませんか?明日は5時出発ですが、普段から3時には起きている私にとって何の問題もありませんネ。
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No,218  #2010年07月08日(木) 「野球と私」

私のバッティングフォーム私の趣味はいくつかありますが、一番目を挙げるとすればやっぱり野球でしょうか。中学校でしか野球をやっていなかった私は、職場に入ると同時に野球ができるようになりました。職場のチームと地域のチームの二つに入り、土日に野球をやれることを喜んでいました。というのも、私の家庭が貧しかったため高校時代は野球をやれる環境ではなく、何かの部活に入りたかった私は、金がかからず土日には農業を手伝える個人競技の陸上部に所属しました。陸上部で練習をしているとき、時々野球部を見かけると羨ましく思ったことが今でも思い出します。その3年間に野球が出来なかったことが、社会人となった私の野球魂に火を着けたことは極自然なことだったのです。野球が出来る環境に喜び、仲間と共に汗し、そして勝敗に一喜一憂してビールを飲めることに幸せを感じていました。野球好きの私には、いくつかのエピソードがあります。昭和58年に妻との結婚が決まり、こちらでは「タンス運び」という妻の家から嫁入り道具を運ぶ日も野球大会がありました。試合の日程上、野球をしてからでも十分に間に合う時間帯だったのですが、その試合がもつれにもつれ延長まで入ってしまい、時計を気にしながら野球を続け、ゲームセットと同時に飛んで帰ったら、すっかり終わっていたというものです。親戚数名を頼んでいたのに自分自身は参加できずに、反省会だけに顔を出して労を労った苦い想い出があります。ピアノもあったので、大変だったことでしょう。それから友達の結婚披露宴と重なり、1時間だけ顔を出して料理もお酒も飲まずに野球に戻ったこともありました。そんな野球好きな私は、異常なのかもしれません。
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No,217  #2010年07月07日(水)

伏見盆踊りの皆さん皆さんは「伏見盆踊り」をご存じでしょうか?隣である羽後町の「西馬音内盆踊り」は、あまりにも有名ですが・・・。この伏見盆踊りの起源は定かではありませんが、鳥海町史には藩政時代(約350年前)から伝わったと記載されています。西馬音内盆踊りの言い伝えには「慶長6年(1601)西馬音内城主小野寺茂道一族が滅び、土着した遺臣たちが主君をしのび、旧盆の16日〜20日までの5日間、宝泉寺(西馬音内寺町)境内で行われた亡者踊りと合流したという説があります。そして天明年間(1781〜1789)に現在の本町通りに移り、現在まで継承されてきたものと伝えられ、 昭和56年1月21日、国の重要無形民俗文化財に指定されました」と、ありますので、伏見盆踊りとは50年ほどの違いしかありません。ただ、唄と踊りは全く違うように思われます。鳥海町笹子地域にも盆踊りがあり現在も継承されていますが、西馬音内盆踊りとは全く違う唄と踊りです。西馬音内と笹子地域とは隣同士で、文化や交流も密接な部分がありますが・・・。昨日の夜は伏見盆踊り保存会の総会があり、今年も8月14日の夜に、鳥海総合支所(旧鳥海町役場)前で開催されます。昔は8月13日〜15日までの3日間開催されましたが、最近は14日だけになりましたし、昔から見れば踊り手が少なくなり活気がなくなっています。しかし、伝統ある盆踊りを子供たちに引き継ぐため、また盆帰省で帰ってきた方々を迎えるために、今年も開催しますので皆様のお越しをお待ちしています。
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No,216  #2010年07月06日(火)

泣かずに済んだ両家代表の謝辞6月19日の長男の結婚披露宴から、もう2週間も経ってしまいました。準備期間中は長く感じたのですが、終わってしまうと日々の流れが早く感じてしまいます。終わってから1週間ぐらいは、出来上がったスナップ写真を見ながら余韻に浸っていましたが、2週間も経つとそれも無くなってしまいました。まだ仕上がって来ない前撮りした新郎新婦の写真や当日の家族の集合写真、当日撮影したDVDなどが届くと、再度思い出しながら鑑賞することが出来るでしょう。それもまた、楽しみの一つなのかもしれません。私は当日、ひとつの誓いをしていました。それは、泣かないこと・・・。ちょっと恥ずかしいのですが、比較的涙もろいタイプなのです。私の妻もそうなんですが、ドラマを見ながら涙をこらえるのが大変なことが良くあります。おそらくこのままだと、披露宴では危ないと思っていたのですが、披露宴当日に流すヒストリーとエンドロールが5日前に出来上がったので、直ぐさま一人で見たのですが、やはり涙をこらえることが出来ませんでした。慣れてきて涙が出なくなるまで、繰り返し5〜6回は見たでしょうか。そして、問題なのが両家代表の謝辞でして、新郎の父親として最大の役目なわけでしたが、なかなか考える時間がありませんでした。結局、当日の早朝に原稿を作成して胸のポケットに入れました。披露宴では酔わない程度に抑えようと思ったのですが、結構飲んでしまいました。それでも、気合いが入っていたので、いや、原稿があったので無事に終えることが出来ました。謝辞の中で、相馬大作さんの絵(No,212)を二人に贈ったのは、私ぐらいでしょうね?それで、最終的に涙をこらえるのには成功しました。
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No,215  #2010年07月05日(月

古代米とあきたこまちここ1週間ほど暑い日が続き、ちょっとバテ気味ですが、稲にとっては恵みの気温となっています。5月に作付けをしてから、気温が上がらないため成長が遅れており、分けつも進まない状態でしたが、やっと夏らしい天気になってきましたので、この調子で生育してほしいと願っています。ところで、写真を見て違いが分かりますでしょうか?AIU(国際教養大学)秋田応援団の学生の皆さんが、泥んこになりながら田植え(No,179)をした苗が左側の古代米の稲で、葉の先の方が黒くなっているのが分かるでしょうか?この古代米は、赤米、黒米、緑米などがありますが、今回作付けされた苗は、知り合いから取り寄せてもらったのですが、どれなのか良く分かりません。収穫したら分かるだろうと思っていますので、あまり気にもしていません。この古代米は餅米に近く、米に混ぜて炊くと赤飯のようになりますので、小豆を入れる手間が省けます。また、通称どぶろくと言われている「床下譽れ」を作れば、紫色をした米のワインが出来上がり、味も甘みが強いので女性向けのアルコールとなります。口当たりが良く飲みやすいのですが、アルコール度数は高いので多く飲んでしまうと翌日に大変な状況になります。今から秋の収穫が楽しみなのですが、10月2日(土)の午前10時から実施する予定で調整していますので、ご希望の方は是非いらしてください。もちろん、手刈りでの稲刈りを体験してもらいますし、刈った稲はハサ掛けして自然乾燥にします。そして2週間後の10月16日(土)にハサから降ろし、脱穀して袋詰めにする予定です。天気が良くないと延期されますが、皆さんのご協力をお待ちしていま〜す。
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No,214  #2010年07月04日(「私の目標」

アトリオンの献血ルーム献血についてはNo,160161でも紹介していますが、今日も秋田に行く機会があったのでアトリオンに寄って、127回目を実施してきました。今年になってから4回目ですが、あと2〜3回はやれそうなので、年内に130回は行きたいですね。65歳までに200回を達成するためには、年に5〜6回のペースで行かなければならないので、とりあえず今年はノルマを達成しそうです。別にノルマを科してまでやる必要は無いのでしょうが、私の場合目的や目標がないとダラダラしてしまう癖があるので、数字を出して公表し自分自身にプレッシャーをかけないと、ダメなタイプなのです。できるかできないか際どい数字を掲げ、それに向かって進んでいくのが私のやり方なのです。秋田市に近い方だったら、ちょこちょこ行けるから良いのかもしれませんが、鳥海地域からだと1時間半近くかかってしまいますので、献血のためにわざわざ出向くわけにもいかず、秋田市に行く用事があったときは出来るだけやるようにしています。ただ、成分献血だと1時間〜1時間半はかかりますので、時間がないときにはやれないですね。私も決して注射が好きなわけではないのですが、高校生だった17歳から始めて44年になりました。どこかで、誰かのために役に立っているのかと思うと、やれるうちはやりたいと思っています。健康でないと献血は出来ませんので、健康の証としてやりたいと思っています。そして目標の200回を達成できたとき、一人でゆっくりとビールでも飲みたいものです。薬を服用していない健康な皆さん、是非とも献血にご協力ください。
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No,213  #2010年07月03日(「山と絆」

優しく受け入れてくれる鳥海山ふるさとを思うときに、また、ふるさとに帰るときには、その地を代表する山を思い出すそうです。私の場合は、鳥海地域を離れたことが無いので、このようなことに気づくことがありません。青森県の人だったら岩木山か八甲田山、岩手県の人は岩手山、宮城県は蔵王山、福島県は磐梯山、そして山形・秋田県は鳥海山ということになるのでしょうか?何年もふるさとに帰らない人が久しぶりに帰ったとき、その山を見るだけでゆったりとした、そして包まれた気分にでもなるのでしょうか?ふるさとを離れたときのない私には、知るよしもないのですが・・・。今年も8月9日にジースリービー会を開催するため、先日案内状を送付しました。早い人からは、返信葉書が届きました。昭和53年3月に卒業した矢島高校第28期生の普通科3年B組は、卒業以来毎年のようにクラス会を開催してきました。ジースリービー会についてはNO,45474859187で紹介していますが、故佐々木洋介先生を中心に団結力の強いクラスでした。それは今でも変わらずに続いており、むしろ絆は強くなっているのかもしれません。50歳を越えたこともあり、ふるさとを離れて生活しているメンバーは、クラス会の通知により、ふるさとや級友を思い出し、そしてふるさとの山である鳥海山を思い出すことでしょう。建物や道路は変わっても、鳥海山の勇姿と友の絆は永遠に変わることはありません。ふるさとを代表する山と、いつでも受け入れてくれる友がいるということは、自分の心の中の支えを持っているようなものなのかもしれません。
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No,212  #2010年07月02日(金)「相馬氏が描いた鳥海山」

相馬氏の鳥海山の絵No,202に掲載しましたが、相馬大作さんが書いた鳥海山の絵は、どこから書いたのか分かりましたでしょうか?鳥海地域の方だったら分かる方もいるでしょうが、この絵は、直根地区の吉谷地集落から大川端集落に降りる農道の途中からのものです。道路は、車が一台通れるだけのスペースしかありませんし、急坂のため利用する方は限られている場所です。このポイントでは、手前に棚田と農道があり、小集落の家並みと子吉川にかかる橋、そしてそれらを見守るかのように雄大な鳥海山が描かれています。この絵を描いてもらったのは、長男夫婦が住むアパートに飾ってもらうためのプレゼント用のものでした。長男夫婦は本荘で二人暮らしをしていますが、そのアパートからは鳥海山は見えません。そこで、いつでも見られるように鳥海山の絵を描いてもらったというわけです。その絵は、結婚披露宴の場で紹介してプレゼントしたわけですが、二人には当日まで内緒にしていましたので、気に入らなければ私が引き取るつもりでした。披露宴の翌日、絵を持って二人のアパートを訪ねたところ、喜んで飾ってくれるとのことで安心しました。反面、断れれば私が毎日見ることができたので、ちょっと残念な気持ちが無かったわけでもありません。それぐらい相馬さんの絵は、心を引きつけるものがあるように思えます。鳥海地域からの鳥海山をはじめ、多くのポイントを探し回って歩きましたので、今後も描いてくれると思いますので楽しみでしょうがありません。皆さんにも相馬さんの絵を見ていただきたいと思いますので、個展等がありましたらお知らせしますので是非ともご覧下さい。
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No,211  #2010年07月01日(木)「新しい家族」

新しい家族が集合今日から7月です。平成22年も半年が過ぎてしまいました。早いものです。1年が早く感じるのは、一日一日が充実しているか、歳をとったせいか良く分かりませんが、昨年の6月から公私ともに忙しい日々を送っていることは確かです。私の場合、サークル「山鳩」の事務局長をはじめ各種任意団体の事務局や会計等を担当しているため、家族には申し訳ないのですが、夕方や土日は家にいることはほとんどありません。子供は3人全員が社会人となったので、子供に手がかかるようなことも無くなり動きやすくはなったのですが、妻とは会話の時間も取れない状況であり、農業も母の力を借りながら何とかこなしている状態です。一般の家庭とはかけ離れた生活をしていることは確かであり、仕事をしながら家事と家計を守っている妻に対しては頭が上がりません。その感謝の気持ちを素直に伝えられれば良いのでしょうが、それを出来ないのが私なのです。妻と母には感謝の気持ちで一杯であり、それを言葉で言えるほど私は素直な人間ではないのです。今回、長男の結婚披露宴の準備等で更に忙しい日々を送ってきましたが、話し合いの時間もあまりとれないまま進んだため、大きな手落ちが無いか心配もしました。無事に終了したのも、家族の支えがあったからであり、大きなハードルを一つ越えることが出来たことに感謝しています。これからも、親として務めなければならない出来事が発生することでしょうが、家族が一つとなって同じ方向を向いて行ければ、乗り越えることは可能だと思っています。
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