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秋田県由利本荘市鳥海町


三船敏郎ゆかりの地…鳥海町
 日本を代表する国際スター・三船敏郎氏の父親は、秋田県鳥海町下小川の出身です。時代劇の時は、三船家の家紋の入った着物を着用するなど、両親と先祖に対する思い入れは相当なものだったそうです。敏郎氏は戦前戦後を通じて4回にわたり鳥海町を訪問。昭和44年には先祖の墓参りなどをなさいました。三船敏郎氏の父親である徳造氏が生まれ育った家で、現在も16代当主である由裕氏が住んでおります。三船敏郎氏は1920年、中国山東省青島で写真館を営んでいた父徳造・母センの長男として生まれました。
その後、第2次世界大戦の敗戦で追われるようにして日本に渡ってきた敏郎氏にとって、頼れるところは父の生家であるこの家しかなかったのです。鳥海町小川で世話になった敏郎氏は、毛布1枚と米をもらって東京に行きました。その後の活躍は、皆さんご存じのとおり「世界のミフネ」までたどり着きました。数回この地を訪ねていますが、三船敏郎氏を支えていたのが父の生家であるこの家であり、原点とも言える存在なのです。鳥海町の町おこしグループ「チョウカイ・サプライズ・パッケージ(C・S・P)」では、偉大な俳優・三船敏郎が亡くなった翌年に追悼映写会を開催しました。そして、サークル「山鳩」では、秋田県の地域活動補助事業を活用し、平成18、19年の2カ年にわたり「三船敏郎フォーラム」を開催し、鳥海町との関係などをPRしました。今後も、細々とでも継続した活動を模索しております。







(左)生家の前での集合写真ですが、前列中央左が三船敏郎氏で隣が当時の当主である哲朗氏です。(右)愛車の前で記念のポーズ
(左)三船敏郎氏の後方に見えるのが哲朗氏ですが、よく見ると彫りの深いところが似ていませんか?鳥海町がルーツである由縁です。(右)三船敏郎氏の左側が妻の幸子さんです。



三船敏郎氏が、鳥海町在住の15代哲朗氏へ宛てた直筆の手紙


三船敏郎氏の直筆の手紙 封筒
一頁
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三頁
四頁



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