管理人の独り言

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事務局の独り言【2010年5月】
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No,180  #2010年05月31日(月

天神あやとりを舞うAIU秋田応援団29日(土曜日)のワンコインステージは、約50人の観衆が見守る中、AIU(国際教養大学)秋田応援団の「天神あやとり」から始まりました。昨年の9月に鳥海町天神集落で習得してから、まだ1年も経っていないのですが、歌い手や太鼓担当も育っているなど充実したサークルだと感じました。今回出演したのは10名でしたが、秋田出身は1名だけで、宮城県出身の代表の神さんをはじめ広島、愛知、千葉、岩手、山形それに台湾、フィリピンの留学生でした。今年の4月活動を紹介するオープンハートオコジョから入会した1年生の初舞台でもあったので、少し緊張しているメンバーもおりましたが、鳥海地域の伝統芸能を見事に舞っていました。笹子おはら節の歌の節回しも、そつなくこなしていましたし太鼓のリズムも合っていました。山鳩のメンバーにも若い頃に「天神あやとり」を舞っていた女性会員がおり、熱心に見ていましたが太鼓判を押していました。何より、鳥海地域の伝統芸能がメディアを通して、広く県内中に発信されていることが素晴らしいと思っています。注目されることによって、地域の伝統芸能に磨きがかかりますし、絶やされな癒しのギターを奏でる川崎勉さんいという責任感が更に強まってきます。天神集落は、20戸ほどの小さな集落なので、継承していくことは容易(たやす)いことではありません。今回の大学生との交流によって、若い後継者が興味を持って取り組んでくれることが、AIU秋田応援団にとっても楽しみなことでしょう。ステージでは、自殺予防に取り組んでいる「オープンハートオコジョ」のメンバーが活動を紹介しました。そして、川崎勉(秋田市)さんによるギター演奏では、日々忙しく暮らしている私たちを癒してくれるメロディを奏でてくれました。最後に、再度AIU秋田応援団の「天神あやとり」を披露してもらい、ステージは無事終了しました。
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No,179  #2010年05月30日(

悪戦苦闘しながらも器用に植える学生昨日のイベントが予定どおり開催され、参加者からは喜びの笑顔が見られました。国際交流大学の学生10名(1名が急遽欠席)が予定の10時前に到着し、矢島中学校のALTと付き添いの2名も合流して古代米の手植えがスタートしました。JA上伏見集落営農の4名の方々と、はたちの会の沼倉代表の指導の下、恐る恐る田圃に足を入れて古代米の苗を植え始めました。初めての生徒が多く最初は苦労してい外での昼食は美味しいし楽しいですたものの、流石に覚えが早く直ぐに上手に植えていました。予定の時間より30分ほど遅れましたが、お昼の準備も間に合い田圃での昼食となりました。朴の葉まま(ご飯)と笹巻き(チマキ)、煮染め、タラの芽とサスの天ぷら、漬け物、サス(イタドリの芽)のみそ汁と豪華なメニューに、参加者からは「おかわり」の声が何度もかかっていました。午後からは、日本銘木百選にも選ばれている「千本カツラ」を視察してから、上田野グラウンド付近でのワラビ取りを実施しました。自炊をしている生徒からは「食費が浮いてうれしい」という声も華麗な天神あやとりを披露する学生聞かれましたが、アクだしをして料理できるのか心配でした。続いて日本の滝百選の「法体の滝」では、感激の声が連呼していましたしカメラを向けて一生懸命に撮影していました。疲れを癒すためにフォレスタ鳥海の風呂にも寄りましたが、ツルツルした肌触りは好評だったようでした。鳥海地域の散策も終えて、午後6時からは「天神あやとり」の出番を迎え、華麗な舞を披露していましたし、川崎勉さんの癒しのギター演奏も観衆を魅了していました。終了後の交流会でも、一日の労を労いながら遅くまで会話を楽しみました。本日は、由利本荘市を案内しながら秋田市に送って行きます。
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No,178  #2010年05月29日(

県内各地で活躍しているAIU秋田応援団今日と明日は、忙しい二日間になりそうです。まず今日は、午前10時から古代米の手植えの体験があります。これに参加する国際教養大学の生徒11名を迎えに、山鳩のメンバー2人が午前6時半頃に出発しました。お昼に食べる昔ながらの伝統食「朴の葉まま(ご飯)、笹巻き、身欠きニシン、漬け物等」を作るため、午前9時には知り合いのお母さん方が3名集まって取りかかります。国際教養大学の生徒が山鳩会館に到着すると、ミーティングをしてから田圃に移動しますが、私の自宅の裏なので移動時間は3分と近いです。手植えの講師には、地元JA上伏見集落支部の農家の方々と、はたちの会の沼倉代表が待っており指導して頂きます。ほとんどの大学生が初めてでしょうから大変なことになりそうですが、1時間ほどで終えたいと思っています今日植える古代米の苗と型。お昼には田圃の農道にシートを敷いて、準備していた伝統食を皆さんで食べてもらいます。天気が良いと気持ち良いでしょうね。昔は、どこもかしこもこんな風景が当たり前だったでしょうが・・・。午後からは、学生を案内して鳥海地域の千本カツラや法体の滝、猿倉温泉などを見て回ります。午後6時からは、山鳩会館に地域の方々が集まってきてから国際教養大学の学生が、鳥海地域の伝統芸能である「天神あやとり」を舞います。そして、オープンハートオコジョの団体紹介、川崎勉さん(秋田市)のギター演奏の鑑賞をしてから交流会に入ります。大学生11名は山鳩会館に宿泊し、翌朝は6時から近所の農家に農作業体験に行きます。朝食を食べてから秋田市に送っていきますが、矢島駅や由利原高原、にしめ道の駅、県立大学等を見学しながら向かいます。午後5時からは、本荘文化会館でブロンズのコンサートがありますので、遅れないように行こうと思っています。
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No,177  #2010年05月28日(金)

津波の様子一昨日の5月26日は、何の日かご存じですよね?秋田県にとっては、忘れようにも忘れることができない悲惨な日です。1983年5月26日11時59分57秒に発生した「日本海中部地震」の日であり、この日を秋田県では県民防災の日としています。27年前、秋田県の沿岸を襲ったマグニチュード7.7の強い地震は、大きな津波を引き起こすなどして県民83人を含め104人を犠牲にしました。このうち100人が津波による犠牲となり、秋田県能代港での工事をしていた41人、釣り人の17人、遠足中の小学生13人などでした。特に遠足で男鹿市の加茂青砂を訪れていた旧北秋田郡合川町(現・北秋田市)の町立合川南小学校の児童が多数巻き込まれたことは、遺留品の散乱する現場の空撮映像が全国ニュースで配信されたこともあって、県民や国内はもとより日本国外にも大きな衝撃を与えました。このとき私は、町内の小中学校の陸上競技大会の役員として、上原陸上競技場(上原野球場の隣で現在は廃止)にいました。もうすぐお昼だな思っていたら、ナンか目まいというか気持ち悪い症状になってしまい、たまたま駐車場の車を見たら激しく揺れているので地震だと分かりました。小中学生や役員、応援にきた保護者などがざわめき始めましたが、しゃがみ込むしかありませんでした。1分も続いたのでしょうか?長く感じた記憶があります。この時点では、このような惨劇が起こっていることなど想像すらできずに、昼食を取ってから午後からの競技をを始めたような気がします。「災害は忘れた頃にやってくる」と言いますが、県民防災の日の5月26日を風化させないためには、多くの犠牲者が出た地震のことを県民一人ひとりが、決して忘れないことではないでしょうか?
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No,176  #2010年05月27日(木)

ブロンズの新作「秋田風来」NO,121でも紹介しています「ブロンズ」のライブが、いよいよ迫ってきました。本荘文化会館を1000人の入場者で埋めて、満員の中で開催しようと頑張っているようです。世界三大ジャズフェスとなっている、7月13日に開催される「スイス・モントルージャズフェス」に招待されています。その前哨戦として、また由利本荘市の皆さんに生の音を聞いていただいて、「ブロンズ」を地元のグループとしてた応援してもらうため、日夜奮闘しているようです。招待はされたものの「スイス・モントルージャズフェス」に出演するための旅費や機材の運搬費などは、出演者側の負担となるようで、かなりの経費がかかります。幸いチケットの売り上げも、8割程度はいったようですが満員まではもう少しなので、まだ購入していない方は是非ともご協力頂きたいと思います。先日、ブロンズの練習会場に行く機会があり、代表の「Ryuma」さんとお話をした際に、できた上がったばかりの新作「秋田風来」を聞かせてもらいました。秋田の民謡とブロンズの演奏がマッチし、テンポの良い曲に仕上がっていました。ヤートセ秋田祭のフリーダンス依頼曲とあって、アップテンポでのりの良い曲でした。歌は民謡歌手の浅野江里子さんが歌っており、民謡歌手ならではの張りの効いた声と小節回しが小気味で、すぐにでも踊ってしまいそうな歌声でした。歌詞も、秋田県内の観光地や行事、風土を紹介しているので、秋田の歌としても使用できると感じました。30日の当日は、残念ながら浅野さんは都合がつかないため出演しませんが、この曲は披露してCDも販売するそうです。私は既に購入してきました。皆さんも是非とも・・・。
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No,175  #2010年05月26日(水)

新緑の法体の滝NO,172に書いた心配が起こってしまいました。昨日、隣の矢島地域で、トラクターによる事故により尊い人命が失われてしまいました。66歳と農家にとっては働き盛りの方で、実は山鳩会員の叔父さんということもあり、非常にお気の毒なことになったと思っています。道路の路肩からトラクターごと転落し、下敷きになって胸を圧迫したことによる事故死のようです。今後、農業従事者の高齢化により、このような事故が発生する危険性が益々高まってきます。慎重な作業を心がけましょう。さて、昨日は法体の滝に行く機会があり、新緑に包まれて流れる雄大な滝をカメラに納めました。橋の上を一組のアベックが渡っており、羨ましく思う釣りキチ三平の看板と同時に絵になるシーンをゲットでき満足して帰ってきました。駐車場には兵庫県ナンバーもありましたので、法体の滝の知名度が少しずつ全国に波及しているのかなと思っています。それも、一昨年に放映された映画「釣りキチ三平」の効果が、大きく影響しているのではないかと思っています。監督の滝田洋二郎さんは、映画「おくりびと」でアカデミー賞を獲得し一躍有名人になってしまいました。昨年の11月3日には、撮影に協力したJA秋田しんせい女性部の皆さんとサークル「山鳩」が主催した「滝田洋二郎監督との交流会」を、フォレスタ鳥海で開催して大いに盛り上がりました。世界に羽ばたいた滝田監督との縁を大切にし、今後も交流していくことが一過性で終わらない秘訣なのかもしれません。由利本荘市を毎年訪れるてくれるように、企てていくことが今後の課題なのではないでしょうか?
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No,174  #2010年05月25日(火)

アルコールチェッカーNO、123にも書いていますが、私はアルコールが好きで、特にビールが大好きです。それも、アサヒスーパードライだったら最高ですが、不景気の影響で最近はもっぱら発泡酒や第3のビールに、主役の座を奪われてしまいました。それも、肥満体に磨きがかかってきたので、糖質ゼロのものを飲むようにしています。ようは、酔っぱらって気持ちよくなれれば良いわけで、こだわりもなくなってきました。晩酌は当然のようにやりますが、山鳩会館ができてからは、そこで飲む機会が増えてきました。どうしても、晩酌よりは多く飲んでしまいますので、次の日に残らないようにセイブするのが、極めて難しくなってきます。予定より多く飲んでしまったときの翌日に、頼りになるのが「アルコールチェッカー」です。私の場合は、職場まで歩いて行ける距離なので、あまり使わないと思う方もいるでしょうが、早朝に田圃の水を見に行ったり、草刈りをしたりしますので、やはり必需品です。また、飲み会で出して遊ぶときも、盛り上がりますので、便利な器具ですね。呼気1リットル中のアルコール濃度が、0.15mg以上だったら酒気帯び運転になりますので、車の運転は控えなければなりません。その目安を教えてくれる「アルコールチェッカー」は、飲む量を減らしてくれる効果もあるようで、飲みながらチェックすればアルコールの量は自然に減っていくようです。酒が大好きな私にとって、なくてはならない必需品になりつつありますが、器具の数字を鵜呑みにしないようにして、飲む量と飲む機会を減らしていかないと、肥満の解消にはなりません。人間ドックの日も近づいてきましたので、もう少し注意しないと・・・。
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No,173  #2010年05月24日(月)

黒マルチを張るのを手伝う母我が家の農作業が遅れているため、昨日は早朝作業となった(日中が暑くいてやれない理由もある)田圃への黒マルチを張る作業は、母の手伝いを得ながら午前4時半から開始しました。この作業は、田圃の水が浸透して減っていくのを防ぐためのもので、除草剤を散布する前に済ませないといけません。前日は一人でやったのですが、暑さで参ってしまったので、昨日は早朝から母の手を借り(マルチをピンで押AIU秋田応援団代表との打合せさえる作業)て、残っている田圃を完了させました。そして、29日に古代米の手植えをする圃場(ハウスのあと)を代掻き(荒掻き)し、朝食を取りました。朝刊を読んでいたら、本荘高校の野球が「こまちスタジアム」で午前10時からあることを知り、秋田に12時まで行く予定だった私は、一緒に行く友人に連絡し2時間早めて出発しました。愛車・ポルテを点検のため本荘まで乗っていき、友人の車に乗り換えてから「こまちスタジアム」へ向かいました。既に試合は始まっており、大曲工業が1回の表に1点を先取し、なおチャンスの場面でタイムーヒットが出て2点を取りました。その裏に本荘も先頭打者がヒットで出塁するも、ゲッツーで菜の花が美しい鳥海高原チャンスをつぶし、その後のチャンスも生かせないまま大曲工業から中押し、だめ押し点を追加され、最終回に2点を取って意地を見せたものの、5対2で負けてしまいました。直ぐさま、秋田駅に向かい「AIU秋田応援団」(改名)の神代表を車に乗せ、まずは腹ごしらえを済ませてから遊学舎で打合せを行いました。私は初対面のつもりでいたのですが、3月にアルヴェで開催された「市民活動フェスタ」(NO,95)のときに、前代表の下田さんと交渉したときの私を覚えていました。神代表は、週5日間のバイトをこなしながら地域活動にも取り組む元気印のお嬢さんで、29日に実施する古代米の田植えと天神あやとりの披露、鳥海地域の散策を楽しみにしていました。打合せを終え、帰路の途中で鳥海高原に登っていき「菜の花まつり」の会場を通りました。既にイベントは終了していましたが、見事な黄色のじゅうたんと鳥海山がマッチしていました。
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No,172  #2010年05月23日(

思わぬ油断から発生する農作ここ1週間ほど、温かい天気が続いたので先週に植えた我が家の苗は、すっかり根付いたようです。鳥海地域では昨日、今日の週末で田植えをする農家がほとんどですが、笹子地区はもう少し後になるようです。上田野の田圃に水を見に行ったら、写真のようなトラクターの転落事故に遭遇しました。キャビン付きのトラクターだったので、幸い怪我はしなかったと思われますが、ちょっとした油断が招いた事故だ171,キャビン付きトラクターでの代掻き作業と感じました。農作業事故は毎年発生しており、特に農業従事者の高齢化が進んでいることもあり、その発生率は高まっていると思われます。後継者がいない農家にとって、農業機械があるうちは止めるに止められずに、無理をして作業をしている方も多いと思われます。そこで近年、団塊の世代が退職時期を迎え、仕事を探している方も増えていると思いますので、第2の人生を農業に取り組むことを進めるのも農業振興になるのではないかと考えています。私の従兄弟も定年を迎雄大な鳥海山の下で草刈りをする農家えたのをきっかけに、平日に私ができないときにトラクターの作業に従事してもらいました。私も助かりましたし、少しの賃金でしかありませんが、お金をもらえるのは従兄弟にとっても良いことだと思っています。私も50歳を過ぎ、いつまでも若くありませんので、協力しながら農業を続けていき10年後の定年を無事に迎えたいと思っています。今、個別補償制度で揺れている農業は、後継者に胸を張って「農業を継いでくれ」と、言えるのかが問題であって、小手先の制度では決して解決には結びつかない、根の深い問題であることは誰でも知っているはずなのですが・・・。
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No,171  #2010年05月22日(

秋田県立美術館一昨日の20日に、全国盲人福祉大会で秋田市に行った際に、時間を調整して秋田県立美術館に寄ってきました。一度は見てみたいと思っていたので、丁度良い機会に恵まれラッキーだったかもしれません。最初は、個人や団体が出展している無料の絵画を鑑賞しました。平日とあって入場者はまばらでしたが、それでも熱心な方々が絵を見ながら話し込んでいました。二階に上がり平野正吉美術館の受付に行った大手門の堀と秋田市街ら、入場料が610円なので一瞬「どうしようか」迷いましたが、ここは入るしかないと思い入館しました。この美術館は、秋田市に生まれた平野正吉が画家藤田嗣治(東京)と知り合い、藤田の妻が急死してからは作品を購入することで藤田を支えました。そして、昭和11年に秋田に美術館の建設計画を打ち出し、その美術館の壁を飾るために藤田が描いたのが「秋田の行事」です。この作品は、縦が3.65mで横がナンと20.5mの力作ですが、この作品を見たときに、初大手門の堀と県立美術館めてではないと感じました。小学校4年生の遠足で秋田市に来たときに、木内デパートの屋上で乗り物に乗った記憶があるのですが、もしかしたらこのときに、県立美術館も見学したのではないかと思いました。そのときの記憶が蘇ったのが正解であれば、実に40年ぶりの入館ということになりますので、後日同級生に確認して、この疑問を解きたいと思います。話しがそれましたが、美術館が完成したのが昭和42年なので、実に計画から31年が経過しました。この美術館が、秋田県民に親しまれると同時に県民の憩いの場となっているのか、ちょっと疑問を感じました。
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No,170  #2010年05月21日(金)

ハイブリッド車の音を確かめる参加者昨日は、秋田市で開催された第63回全国盲人福祉大会にボランティアとして参加しました。職場を休んでの参加のため気合いを入れて行ったのですが、日赤の看護学生がボランティアの大半を占めて活躍したため、私の出番はあまりありませんでした。それでも、イベントの際の誘導やトイレへの誘導など、盲人の方々へ配慮した行動を心がけました。午前中は、北は北海道から南は沖縄まで、全国から集まった電子白杖を試用代表者会議が行われました。決まり切った大会だと思っていたのですが、さすがに全国から集まった参加者とあって、厳しい意見が飛び交い事務局もたじたじの場面がありました。盲人の方々が抱える色々な問題が提起され、午後からは3つの分科会に分かれて討議されましたが、その中で、国が行った規制緩和によって盲人の方々の針や灸、マッサージなどが圧迫されていることが分かりました。「健常者と盲人が平等に戦ったら、大学生と小学生が競争していると同じ」という、大人気の竿灯参加者からの意見が心に残りました。ハンディを背負っている方々の生活を守ることは、私たち健常者にとって普段は気づかないことですが、こういった大会に参加することで肌で感じることができ大いに勉強になりました。また、イベントではハイブリット車の静かな音を体験するコーナー、秋田県立大学が試作している電子によって障害物を感じる白杖の体験がありました。最も人気があったのが竿灯の体験で、笛と太鼓による軽快な囃しにのって竿灯が繰り広げられると、多くの参加者から手拍子や拍手が送られて歓迎を受けていました。秋田の方々の優しさと温かさを感じて、今日3日目の最終日を終え無事に帰ることを願っています。
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No,169  #2010年05月20日(木)

私の自慢の歯自分の身体の中で、自慢できるところはほとんどないのですが、あえて一つ選ぶとしたら「歯」でしょうか?子供の頃は歯磨きをしたこともないのに、虫歯はほとんどありませんでしたが、小学生になって1年に1度でしょうか歯の検査があり、慌てて指に塩をつけて歯磨きしたことを思い出してしまいました。私には16年前に亡くなった祖母(明治34年生まれ:現在110歳)がいましたが、その教えの中に「硬い物をよく噛んで食べれ」と言われたものでした。魚の骨はもちろん、肉の骨やせんべいなど硬い物を選んで食べた記憶があります。硬い物を食べることで、顎が丈夫になるし歯にもいいだろうと、いうことだったようです。お陰で、現在も虫歯は無いので、全て自分の歯で4年ぶりに取れた差し歯食べることができます。歯医者さんからも以前に、「この歯は一生大丈夫」と太鼓判を押してもらったことがあります。それでも虫歯が発生した際に、治療して差し歯によって保護していたのですが、1カ月前ぐらいから違和感を覚えていたら、ガムを噛んでいたいたときに外れてしまいました。4年前にも一度外れていたので2度目となりますが、今回は歯が欠けているので差し歯を作り直すということで、現在は仮の物が入っています。食べるのには支障が無いのですが、硬い物を食べるときは反対側で食べるようにしています。来週には出来上がるようなので、今しばらくの辛抱です。祖母の教えは数々ありますが、今でも感謝していることばかりです。私には、まだ孫はいませんが、祖母のような人になりたいと願う、今日この頃です。
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No,168  #2010年05月19日(水)

明日は、秋田市で開催される第63回全国盲人福祉大会にボランティアで参加します。63回目となるのに、秋田県での開催は初めてだそうです。昨年は、京都市で54年ぶり3回目となる大会を開催していますので、なぜこれまで秋田県で開催されなかったのはわかりませんが、秋田県で初開催のこの大会にボランティアとして参加することに誇りを感じています。反面、盲人の方のお世話は初めてで、4月に講習会に参加したとはいえ不安は消えません。誠心誠意を尽くしお世話することで、技術的な部分は見逃してもらおうと思っています。本日から21日までの3日間開催されるこの大会には、400人のボランティアによって支えられていますが、募集して不足した人数は日赤の学生で対応したようです。私自身も、たまたまHPで見つけて応募したぐらいですから、PR不足だったように思えます。私は2日目の午前8時半から午後9時までで、イベント補助・情報交換会補助の担当となりました。何もかも初めてで戸惑うことでしょうが、与えられた仕事を無事に終えたいと思っています。主会場が秋田ビューホテルとなっていますので、秋田市周辺の方は激励にきていただければ幸いです。差し入れも大歓迎ですよ。
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No,167  #2010年05月18日(火)

太陽の周りに出来た二重の虹昨日(5月17日)の秋田さきがけの朝刊24ページに、逆さまの虹「暈(かさ)」が出現という見出しで掲載された記事は、独り言NO、166の写真と同じものです。記事には、にかほ市からの写真が掲載されており、逆さまに見える虹が写っていますが、私たち鳥海地域からは真上にあったので二重になった虹(暈)を見ることができました。にかほ市と鳥海地域では、直線で20キロメートル以上離れていますので、にかほ市の写真は斜め横からの撮影のため二重には見えないで、二つの虹(暈)が重なったため一つの虹(暈)となって写ったのだと思います。自然現象であり、なかなかお目にかかれない暈の出現は、異常気象を予感させるような変な気持ちになりました。低温が続き、田植えも1週間から10日ぐらい遅れていますし、鳥海山の雪も消えないため道路の除雪が遅れているようです。その割には、今のところ山菜は豊富に出ているように思えます。そんなに行かない私でさえ、山に行けば何かしらの山菜と出くわしていますし、結構な収穫もありました。しかしながら、畑の野菜は遅れているようで、なかなか出荷が進まないようです。稲の作付けも終わり一段落しているところで、既に収穫のことが心配になるような天候が気になります。農作物栽培の農家は、天候で大きく左右される弱い立場にありますし、消費者も値段の高騰によって悩まされることになります。両者がお互いの立場を思いやることにより、安心で安全な農作物の提供と適正価格の設定は、バランスを保てることができるのではないでしょうか?
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No,166  #2010年05月17日(月)

太陽の周りに出来た二重の虹土曜日の午前4時から田植え作業を開始し、昨日の午後2時までで無事終了しました。日曜日は少し汗ばむぐらいに温度が上がり、また風も無かったので田植えには絶好の天気でした。今年は長男夫婦も手伝いにきましたので、少し楽をさせてもらいました。そして、秋田クボタの新型デモ機での田植えのため、最初は操作に慣れるのに時間がかかりましたが、回転が小回りがきき、植え付けもきれいに仕上がりました。おまけに、機械を洗わないで済みま田植え後の田圃と鳥海山したので、かなりラッキーでした。田植えの最中に、長男夫婦が空を見上げて携帯で写真を撮っていました。午後11時頃だったでしょうか、空に二重の虹が架かっているように見えました。おそらく虹では無いでしょうが、非常に珍しい現象だと思いシャッターを切りましたが、大阪から来ていたクボタのメーカーの職員も、空を見上げてビックリしていました。30分程度で消えてしまいましたが、しっかりデジカメに納めておきました。今朝、田圃の水の状態を見ながら行った田植え後の田圃と鳥海山2ら、上田野から鳥海山がきれいに見えていたので、田植え後の圃場を入れてシャッターを切りました。このような風景をいつでも見られる私は、もしかしたら幸せ者なのかもしれないと思うようになりました。高校を卒業後、1年だけでも都会に出て暮らしたかったという希望が親の反対で叶わず、鳥海で埋もれっぱなしになっている自分への腹立たしさと、都会で暮らせなった悔しさもありますが、50歳を超えてから今更どうにもならないという諦めなのかもしれませんが・・・。
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No,165  #2010年05月16日(

昨日も早朝の時間を利用して、山菜採りに出かけました。3時頃から「事務局の独り言」の原稿を打ち込み、送信して4時頃になりますと夜が明けてきますので、軽トラックに乗り込み山に出発します。4時半になると山菜が見える明るさになりますので、コダスを腰に下げて手袋をはめて山に入ります。既に里では終わりとなったイタドリ(鳥海地域では「さす」)やコゴミ、タラの芽を採ることができます。それだけではなく、きれいな空気を腹一杯吸い込めることが、何よりも贅沢で幸せを感じる一瞬です。さらに、日々変わっていく自然の風景をデジカメで撮られることも、ネタにもなりますので・・・。「早起きは三文の徳」と言われますが、正しくそのとおりで、私にとってはそれ以上の価値が潜んでいます。その代わりに、夜は9時前に寝てしまいます。「年をとると寝ていれない」という人がいますが、50歳を過ぎた私の早起きは、そのせいなのかもしれません。私の父と母も、朝は早かった記憶があります。昔の草刈りは鎌で手刈りし、その草を背負い家まで運んできて、農耕用に飼っている馬に食べさせていました。その作業は時間がかかるため、朝の暗い内から家を出かけ田圃に行っていました。そんな姿を見た小学校に入学前の私は、子供ながらに大変な仕事だと感じていました。そして、小さい頃から手伝わされていた私は、農業そのものを好きになることはありませんでした。それが今、トラクターを中古のキャビン付きに変え、水路を土側溝からコンクリートに変えたことにより、やっと農業が自分のためにあるような気がしてきました。この年になって、ようやく自覚が少しだけ芽生えてきたのです。
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No,164  #2010年05月15日(

先日、百宅集落に行く機会がありました。鳥海地域で、いや由利本荘市で、最も遅い春が訪れる集落です。それでも農作業は進んでおり、既に代掻きをしていました。中には5月6日から田植えをしており、4ヘクタールに植え終わっている方もいました。鳥海地域の中心地である伏見地域では、今日か明日あたりから田植えが始まりますので、10日ぐらい早いことになります。それでも稲刈りは同じ頃になりますので、標高の高い百宅集落は気温が低いために稲の成長が遅れるのです。そして、この低温ですから稲ばかりでなく、農作物全体への悪影響が懸念されています。百宅集落には法体の滝がありますが、その手前約1キロメートルには「弘法平」があります。821年、弘法大師(空海)が湯殿山詣での後に、この地を訪れて修行を積む際に利用した洞窟が「弘法洞穴」と呼ばれ、上部の岩場には「衣干場」といわれる白い岩場があります。この一体を「弘法平」と名付けられ、法体の滝と同様に観光スポットとして位置づけられていますが、正直いってしっかり見たことがないので、案内看板を信用するしかない状態です。機会がありましたら、現地を撮影して紹介したいと思いますので、少々お待ち願います。法体の滝も新緑に包まれ、豊富な雪解け水によって豪快な滝となって皆さんをお待ちしています。紅葉の滝も素晴らしいですが、この時期の滝も見応えがあります。現地までお越しできない方は、由利本荘市のHPのライブカメラで見ることができますので、どうぞご利用ください。
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No,163  #2010年05月14日(金)

外は雨が降っています。それはそれで仕方が無いのですが、気温が低いのが気になります。今日も寒くて、ストーブが無いといられないぐらいです。5月も中旬だというのにこれでは、農作物に影響が出るのは避けられないことでしょう。お天道様次第の農業にとって、気温の変化は作物の生長に大きな打撃を与えることになります。天候の早い回復と、暖かい日が続くことを願う今日この頃です。明日からは、田植え作業も始まりますので、何とか良い天気になることを祈っています。
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No,162  #2010年05月13日(木)

代掻き前田堀りも終わり、代掻きが始まりました。川内小学校がある上田野の田圃は高台にあるため水がありません。以前は畑と原野であった場所を、昭和34年に開田したときに川からポンプで水を汲み上げたからです。今から51年前に開田したこの時期は、米を作れば国が買ってくれるし値段も毎年上がっていく頃だったでしょう。私の父が27歳で母が26歳ですから、夢と希望を持って開田に取り組んでいたでしょうし、その10年後には転作が始まるとは誰も予想することができなかったでしょう。代掻き後当時は、開田したときの負担金とポンプアップのための電気料で、10アール当たりの賦課金は1万円を超えていました。それだけを支払っても、ペイできるだけ米の値段が高かったのです。米価の適正価格は、いくらなのかは私は分かりませんが、農家が夢と希望を持って取り組んで、後継者に引き継いでいけるような価格でないと、日本の田圃は耕作放棄地で一杯になってしまうと思っています。国が補助金漬けにしてしまった農業を、突然変えることは不可能でしょうし、農家の考えが変わるには時間がかかります。「所得保障制度」の内容も良く分かりませんが、農家が元気になれるよう河川公園のゴミな方向性を見いだしてもらいたいと思っています。農家が元気になれば、日本が元気になると思っています。田舎が元気になれば、日本が元気になると思っています。そのためには、小さなことからコツコツ積み上げて行かないと、大きな結果には結びつかないと思っています。川内保育園の側にある河川公園に行ったとき、写真のようなゴミが落ちていました。明らかに子供が捨てたゴミと思われました。ゴミを平気で捨てて行く子供にするのではなく、ゴミを拾う子供に育てていくことから始めましょう。
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No,161  #2010年05月12日(水)

血圧計による健康チェックもあります昨日に続いて、献血について書きたいと思います。私が初めて献血をしたのが、35年前の高校1年生のときで、授業を公欠で休めるのだったらやろうかという程度のきっかけでした。私はAB型で、日本人の10人に1人と少ないためか、社会人となってからは良く頼まれるようになりました。当時は「枕元(まくらもと)献血」と言われ、必要とする家族から直接頼まれて病院に行き、献血することが多くありました。終了後は、その家族からは謝礼と称して品物を頂いたり、食事に誘われたりしたものでした。自分の血液を必要とする方がいて、献血することによって病気や怪我が治癒していくことは、もし自分が必要とする場面が来たときに置き換えれば、できるときに献血するべき採血の様子だと思ったものでした。その当時は、「自分が献血をした量だけ献血を受ける権利が与えられる」と、いう特典もありましたので、進んでやったような気がします。その後、そのようなこともなくなり、400_gまでできるようになり、そして成分献血が誕生しました。誰しも注射を好きな方はいないわけで、また、「失敗されたらどうなるだろう」と、ちょっとした恐怖心はいつもあります。それでも、病気をしていて服薬していればできないわけで、献血ができるという健康である喜びを感じ、今後も協力していきたいと考えています。献血は69歳までできるようで、私には後18年残されています。この間124回目の献血を実施したので、1年に4〜5回ペースでいけば200回に到達する計算になりますので、健康に留意して目標を達成したいものです。
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No,160  #2010年05月11日(火)

献血車124回目の献血をしたことは、NO,152に記載していますが、実はこのとき、ちょっと不快な思いをしてきました。時間をなんとか調整して献血センターへ行ったら、「昼休みの時間にはいるためちょっと時間がかかる」とのことで、早くできるようにするため検査だけ済ませたほうが良いと言うことで、検査を終え昼食を取りに出て行き開始時刻の午後2時前に戻り、名前を呼ばれるのを待っていました。もちろん、1番目に呼ばれるものだと思っていたら、一人呼ばれ二人呼ばれ15分が経過しました。早く帰って用事が献血のPR活動あった私は「まだでしょうか?」と、看護士に問いつめました。受付と看護士とのコミュニケーションが、とれていなかったためだったようでした。成分献血は1時間はかかりますので、私のように遠くから来ている者は時間がないとできません。かといって、400_gの献血だと2カ月間できませんので、地元でやるときに協力できないので・・・。ということで、秋田市に行って時間があったら成分献血をやるのですが、あのようなちょっとしたミスは私にとって非常に困ることなのです。それでも、その後の看護士の対応には感心しました。恐縮してしまい、自分たちのミスを謝り何度も「時間は大丈夫ですか?」と、気を遣ってくれました。人間にミスはつきもので、その後の処理が問題となってきます。ミスはミスとして認め、素直に謝れば誰も悪い気はしないはずです。そのミスを回りくどく言って、ミスを自分のことにしないで、ごまかそうとすると大きな問題に発展することがあります。過ちは素直に認め、誠意ある対応をすることが一番ではないでしょうか?
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No,159  #2010年05月10日(月)

市営の奥山放牧場昨日も早朝から出かけ、山菜を採ってきました。4時頃に自宅を出発して、市営奥山放牧場に着く頃には少しずつ明るくなってきます。手袋をはめ、コダスを持って現地に到着すると、4時半頃になり、丁度山菜を採れる明るさになります。この日も、コゴミ(No,157に掲載)という山菜を採りましたが、山菜の本には「クサソテツ」と書いており、「万人向きの味わいを楽しむことができる」とありました。我が家では、定番のゴマ和えで食べますが小川と水芭蕉、焼きそばに入れたり焼き鳥の串に刺したりしても良いようです。私は基本的に料理はしないので、山菜を採ったら母や妻に任せきりですが、山菜の本のレシピを教えてレパートリーを増やしてもらえたら、山菜がもっともっと色んな食べ方に変わるんでしょうね。コゴミを採った帰りに、以前タラの芽を採ったところに寄ってみたら、太いゼンマイが出ていましたのでゲットして、上を見ればタラの芽が出ており、下を見たり上を見たりで大変でした。朝食を食べる時間が近づいて市道亀ケ森線から川内地区を望む帰ろうとしたら、タラの芽の山に直面してしまい、帰るに帰れない状態となり、時間ギリギリまで採ったらコダスに一杯のタラの芽がありました。これも全て山の恵みで、感謝しながら採らなければなりません。特に、翌年のことも考えながら採らないと、枯れてしまうことがありますので注意が必要です。全部採るのではなく、来年もまた採れるように残していくことが、山と長くつきあえる関係が保たれます。山に行くと、空き缶や空き瓶が散乱していることがあります。山菜を採る場合、最低のマナーは守ってもらわないと困ります。山は、私たちの宝なのですから・・・。
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No,158  #2010年05月09日(

古代米の苗新緑の季節を迎え、里も山も緑で一杯になってきました。我が家の稲の苗も、序盤は寒さで成長が遅れて心配していましたが、その後気温も上がってきて持ち直して例年並みになってきました。今年は初めて、古代米の苗を育てています。5月29日に昔ながらの手による田植えを行うためで、葉っぱの色が少し黒ずんでいますので間違えることはありません。写真の手前が古代米の苗で、奥の方が「あきたこまち成長した鳥海りんどう」の苗です。機械による「あきたこまち」の田植え作業は、5月16日の日曜日に長男夫婦にも来てもらい、一気に済ませようと考えています。私が担当する田圃は約1ヘクタールですが、圃場の位置があちこちに分散していますので、機械の移動に手間取ってしまい効率的にできないのが課題となっています。私のように分家になった家では、便利の悪い場所の田圃を分けてもらうので、どうしても分散する可能性が高くなります。また、両親が田圃を購入して少しずつ増やしたの初めて食べた稲庭ラーメンで、あちこちになったわけです。転作には、主にソバを作付けしていますが、一部に鳥海りんどうを植栽しています。もう5年目になりましたが、鮮やかな紫色のリンドウは「鳥海りんどう」と名付けられ、秋田県で一番の作付け面積と品質の良さで評判を呼び、全国にも通用する花となっているようです。私のリンドウは、近所や友達に差し上げる程度で販売することはありませんが、直売所でも求めることができますのでご購入ください。最後の写真は、昨日の午後から隣町の道の駅「おがち」に行く機会があり、稲庭ラーメンを食べたときの写真です。あっさり系で、麺も稲庭うどんに近いラーメンで、程良い食感を楽しんできました。
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No,157  #2010年05月08日(

コゴミの群生今日は早朝から山菜採りに出かけ、大量のコゴミをゲットすることができました。このコゴミは、ゼンマイに似ている山菜ですが、ゼンマイとは違い綿がついていません。ごま和えにして食べるのが一般的ですが、私はゼンマイのように天日干しにしながら手で良く揉んで、乾燥させてから戻して煮物にしても結構いけました。粘りけがありますので、ゼンマイより美味しいという方もいるようでした。何よりも保存食として食べられることが、大きな利点天日干しする大量のコゴミになりそうです。また山菜は、農薬を使わない安全で安心な食べ物で、これから注目される食品の一つになると予想していますので、この山菜が豊富にある鳥海地域の山は、宝の山となることでしょう。そのためには、山菜が若い人にも受け入れられるように、料理しやすくするためのレシピを準備するなど、工夫することが大事になります。ゴールデンウィークの直売所は、連日のお客さんで品薄になるなど大盛況でした。野菜や山菜などが新鮮に安全で、しかも安く手に入る直売所は、今後益々成長していく施設になりますが、一歩間違えてしまえ鳥海山とももや、直売所ば恐ろしい事態になりかねない施設でもあります。それは、大勢の出展者がいるため、良質な品物の確保ができるかという点です。特に食品ですので、食中毒の発生の危険性が常につきまといますので、これから梅雨を迎える季節となり、特に注意が必要となります。これまで、直売所からの食中毒の発生は聞いたことがありませんので大丈夫とは思いますが、無いからこそ注意を喚起して行かなければなりません。これまで食品に関する事故や事件は、全てが油断から発生している事例ばかりなのですから・・・。
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No,156  #2010年05月07日(金)

愛用している私の県民手帳今年も5月になりましたが、私は県民手帳を愛用しています。仕事の日程や私的な計画などを書き込み、いつでも見られるように常に携帯しています。最近は、携帯電話でスケジュール管理している方が多いようですが、私は未だに手帳派なのです。携帯電話に慣れれば、やれるとは思うのですが、おそらく何年分も保存することはできないと思っていますし、手帳に記入したものは何年か経った後でも見ることが可能です。既に21冊(21年分)が本棚に並べらイラスト入りの観光マップもれてありますが、過去の手帳を見て当時を懐かしむこともありますので、自分の歴史や記憶をたどる際には最高のものになります。私は、日記を書かないタイプなので、日記に近い使い方もしています。特に50歳になって、過去の出来事を思い出すことが困難になってきましたし、複数の日程を覚えるのが難しくなってきましたので、この県民手帳が欠かせなくなってきました。県民手帳には資料編があり、県議会議員名簿汚い字で書かれている手帳や秋田県機構一覧、秋田県の歴史・人口の推移、県内の行事、道の駅一覧、郵便料金・印紙税早見表など、また東京地下鉄路線図まで掲載されていますので、この1冊で困ったときに役立ったことも、しばしばありました。私がこの手帳を使うようになった理由は、以前はスポーツ店から無料で頂いていた手帳がもらえなくなり、しかたなく買うことになったため、たまたま目に入った県民手帳を利用するようになった訳です。今では、無くてはならない存在になりましたので、この出会いも縁なのかもしれません。
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No,155  #2010年05月06日(木

旧川内中学校からの伏見・久保集落5日間続いた連休も、あっという間に終わってしまいました。秋田市に野球観戦に行った以外は、鳥海地域から出ることもなく穏やかなゴールデンウィークとなりました。堰普請に1日と田圃の耕起に2日間を要したこともあり、農業をやる以上はゆっくり休めそうにありません。それでも、秋の収穫のことを考えれば仕方のないことで、やる以上は楽しくやろうと心がけています。そのためには、1つめに無理をしないこと、2つめに多くの人と一緒にやること上原集落の桜並木とスイセン道路を考えています。その第1弾が、昨日の独り言にも書いていますが、5月29日のイベントと考えています。国際教養大学の学生が、13人ほど来てくれる予定となっています。おそらく、田植えは初めてだろうし、鳥海地域に来るのも初めてでしょう。全国各地から秋田の地を訪れ勉学に励む学生の皆さんに、鳥海地域の伝統文化や芸能、観光地、食文化を体験してもらい、この地を何度も訪れてもらえるような関係になれれば、楽しいだろうなあ〜と考えています。私は、鳥海地長坂集落からの鳥海山域のファンを多くつくることが大切であり、そのためには見せるもの(芸能や観光地)も大事ですが、最も必要なのは受け入れてくれる人材だと思います。「あの人に会いたいから」「あの人の話を聞きたいから」という理由で、鳥海地域を訪れてくれるような人材が多ければ、その地域は活気づくと同時に考え方も変わってくると思います。特に、全国から訪れる大学生と会話できることはチャンスであり、田舎に住む私たちに大きな刺激を与えてくれることでしょう。今回の縁を大切にし、お互いに次なるステップに持って行けたら・・・。

※ ゴールデンウィーク中どこにも行けなかったので、鳥海地域の写真を掲載しました。

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No,154  #2010年05月05日(

下川内堰水路清掃作業昨日も早朝から、トラクターでの耕起作業を実施しました。雨の心配がありましたが、幸い鳥海地域には降らなかったので、予定どおりの圃場の耕起作業を終えてから下川内堰の水路清掃に出かけました。「堰普請」というこの作業は、田植えに必要な農業用水を圃場に引くために重要なもので、この時期と草が生い茂る7月頃の草刈りと2回実施されます。農業従事者の高齢化により、重労働であるこの作業を軽減するために、土側溝からコンクリートの側溝への工事が進められています。下川内堰水利組合でも、5年前に国の補助事業を利用してカタクリの花大規模な改修をしたため、私たちが担当した区間は木の葉の除去程度でした。途中、「たばこ」と称して休憩がありますが、その時間を利用して近くの山を歩いてみると、ゼンマイやワラビ、タラの芽などの山菜が豊富にありました。また、水芭蕉やカタクリの花が咲き乱れており、これまでだったら気づかなかった自然の大切さを改めて感じ取ることができました。私たちの周りには、このような風景が極自然に溢れているため、この良さに気づくことがありませんでした。しかし、都会に住んでいる方々水芭蕉が自然を求めて、また、農作業を体験するために田舎を訪れる「グリーンツーリズム」が、国の事業などで取り上げられています。このタイミングを利用して、田舎を元気にできないか、農業を元気にできないかを考えて行きたいと思います。その第1弾が、5月29日(土)に開催する予定で、古代米の苗を手植えでの「田植え」を行います。昼食は、「ほのはまま」こと鵬の葉ご飯と笹巻き、漬け物を準備し、午後からは鳥海地域を散策します。夕方は、山鳩会館で国際教養大学の皆さんによる天神あやとり、川崎勉さんのギターの演奏を鑑賞して頂きます。終了語は、懇親会で大いに盛り上がりたいと思います。詳しくは後日お知らせしますので、ご参加ください。
※ 昨日お伝えした由利本荘ベースボールクラブですが、準決勝でJR秋田を5-2で下し、決勝まで進出しました。決勝では惜しくもTDKに敗れましたが、見事準優勝という結果を残しました。
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No,153  #2010年05月04日(

上田野からの鳥海山昨日は、早朝から上田野の田圃に向かい耕起を開始しました。上田野は、川内小学校と旧川内中学校があるところで、住宅が無いので早朝からの作業も迷惑がかかりません。上田野グラウンドの桜は今が満開で、鳥海山をバックに思わずカメラを向けてしまいました。私たちが小学校の頃は、こんな風景の中で上田野グラウンドに一杯の小学生が集まって運動会をしたことを思い出してしまいました。1学年が70〜100人ぐらいでしたので、全校生徒だと500人程度の規模で行われたことになります。(現在の川内小学校は1農業用の愛車50人ぐらいでしょうか?)運動会の楽しみは、昼ご飯に手巻き寿司と卵焼きを食べられることと、足が少しだけ速かったのでリレーに出場して前の選手を追い抜くことでした。話しを戻し、夜明けと共に作業を開始したのには訳があり、昨日の勘違いのリベンジを図るため「こまちスタジアム」へ由利本荘ベースボールクラブ(YHBC)の応援に行くため、少しでも作業を終えてから行きたかったからです。ゴールデンウィークの3日目で、5連休の中日ということもあり混雑が予想されていましたが、秋田市内までの道は案外空いていました。圧勝した試合のスコアボードそれでも自宅を出るのが遅れたため、11時からの試合開始予定なのに着いたのは12時近くになっていました。試合は4回の表、ノースアジア大校友クラブの攻撃で3対1でYHBCが勝っていましたが、すぐに1点を返され1点差になってしまいました。5回の裏に4番三浦のタイムリーで4対2とするも、6回表に1点を返され4対3のまま8回の裏に進むと、先頭打者のデットボールをきっかけにランナーをため、5番キャプテンの高瀬のレフトオーバーなどで一気に畳み掛け、この回6点目を取ったところで8回コールドで勝ちました。武内新監督(前監督は元日本ハム投手の工藤幹夫氏)の下、圧勝で初勝利を飾りました。早々と帰宅し田圃の耕起を続けましたが、今日雨が降らないことを祈るだけです。
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No,152  #2010年05月03日(

遊学舎…春の山野草展昨日は、自分の勘違いから忙しい日になってしまいました。夜が明けると共に軽トラックに化学肥料を詰め込み、田圃に散布を始めました。朝食を取り、直売所に行きタラの芽が豊富に出ていたので、本荘の従兄弟に1キログラム(1,750円)を持って行きました。東京の美彩館に送られ、料理に使用されます。秋田に向かい遊学舎に立ち寄り、山野草展が開かれていたので覗いて見ました。前に訪ねたときもやっていて、いくつか購入したので、今回も3個と互理楽の足あとPR活動山菜の本を買いました。ついでに、厚かましく「互理楽の足あと」のPR活動を実施したところ、1個しか持ち合わせいなかった商品が売れてしまいました。試して踏んでみると、その心地よさに思わず買ってくれたようでした。そして、こまちスタジアムに行って社会人野球大会春季大会で、由利本荘ベースボールを応援しようとしたら、ナンと3日だとのことで私の勘違いが発生。せっかく秋田まで来てしまったので、アルヴェに寄って「互理楽の足あと」をPRしてから、アトリオンの献血センター相馬大作氏の春の風景画展に向かって成分献血を実施しました。今月の26日に鳥海地域でも成分献血があり頼まれていたので、それが大丈夫か確認してから124回目の献血となりました。健康である証しとして献血ができるわけで、血圧や糖尿などで薬を服用していればできません。健康なうちは、年齢制限に引っかかるまで実施したいものです。そして雄和のヴィラ・フローラに行って、相馬大作氏(秋田市)の「春の風景画展」に寄ってみました。独り言のNO,111でも紹介していますが、相馬氏の優しい風景画が好きなのです。5日まで開催(無料)していますので、皆さん覗いてみてください。自宅に帰って6時から野球の練習があったのですが、20分待っても誰も来なかったので中止としました。忙しい一日でした。
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No,151  #2010年05月02日(

牧場の木独り言のコーナーが、今回で150回目を迎えました。それも、毎日の更新を続けての達成です。もともとは文章を書くのは苦手で、小学校時代の読書感想文には泣かされました。それが、仕事の上で文章を書かなければならなくなり、転職することもできず「やれるだけやってみるか」の精神で取り組んだ結果が、今こうして役に立っているような気がしてなりません。また、これまで仕事以外の部分でも色んなことをやってきましたし、今現在もサークル「山鳩」を始め各二人・田沢湖種団体で活動していますので、話題に困ることはありません。作成する時間も30分から1時間程度で終わりますので、朝3時前には起きている私にとって時間はありますし、5時前には管理人のS君に原稿と写真をメールしています。私の役目はそこで終わり、その後はS君が山鳩HPにアップすることになります。私が一人でやっていない分、楽ができる部分と原稿をチェックしてもらえる部分で、本当に有り難く思っています。それも、山鳩応援大使(?)として無料で更新し春て頂いていますので、頭を下げるしかないわけです。S君と知り合ったのも縁なわけで、サークル「山鳩」30周年記念式典・祝賀会を多くの人に知って頂くための手段を相談に行った際に初めて会い、とんとん拍子にHPの立ち上げまでに結びついたわけです。私は縁を大切にする人間で、初めて会った人でも「この人は」と思う人とは、その後も付き合うようにしています(NO、99参照)。最近の若者は、面倒くさいと言うことだけでその縁を絶ちきろうとしています。確かに面倒なことなのかもしれませんが、人間一人では生きていけないわけですから、縁から結ばれる発展を目指しながら支え合って、細く長く生きて行ってほしいものです。 ※風景画家の相馬大作氏(秋田市)の油絵を使用させて頂きました。
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No,150  #2010年05月01日(

低温が続き成長が遅い苗いよいよ本日から5連休の始まりですが、私なりの計画をお知らせします。本日1日は、田圃への化学肥料の散布を行います。作業小屋にある肥料を軽トラックに積んでから田圃へ移動し、背負い式のもので耕作面積が約1ヘクタールへ散布します。半日ぐらいで終了すると思いますが、全くの人力作業ですので結構疲れますね。午後からは、家の裏に少しばかり植えている「鳥海りんどう」の手入れをしたいと思います。既に芽を出し始めていますので、冬期間下げていた網を成長に合わせて上げる作業があります。夕方は、長男の中学校時代の野球の監督と飲み会があります。2日は、大曲球場で行われる「欽ちゃん球団・茨城ゴールデンゴールズVS芽を出し始めた鳥海りんどうギバちゃん・秋田ドリームクラブチーム」の試合を観戦に行きたいと思っています。3日は、天候によっては変更もありますが、田堀を予定しています。4日は、下川内堰水利組合の堰普請があり、出人夫として出役する予定です。直根地区の猿倉から取水していますので、水路の延長はかなりあると思いますので、一日がかりの作業のようです。夕方は、高平・弥四郎堰水利組合の相談兼飲み会があります。5日は、残っている田圃の耕起を実施し、連休中で終了したいと考えています。結局は、2日以外は遠出はできませんので、時間を調整しながら地元の温泉施設でも利用して、疲れを癒したいと考えています。ゴールデンウィークは、農家にとって農繁期であり、農作業を集中してこなせる格好の休日であって、ゆっくり休めるようなことは困難なのです。




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