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事務局の独り言【2010年6月】
このコーナーは2009年12月からスタートしました。開始以来毎日更新しています!



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No,210  #2010年06月30日(水)

500歳野球鳥海クラブの選手秋田県が全国に誇れるものは、いくらでもあるのかもしれませんが、野球で全国に通用するのは500歳野球だけかもしれません。今年で32回目を数える全県500歳野球は、昭和53年、当時、県野球協会会長で旧神岡町出身の高橋政泰氏(当時59歳:東北肥料株式会社取締役故人)が、昭和5年神宮寺小学校尋常科が全県準優勝した時の同級生に呼びかけ、 神宮寺嶽の麓、中川原球場にて紅白試合を行ったことが、全県500歳野球のキッカケとなりました。翌54年、同町と周辺の6チームで大会(今も大仙市で行なわれている郡市500歳野球大会)を実施したところ、大きな反響を呼び、同年10月、秋田魁新報社が主催となり、少年野球発祥の地と言われる旧神岡町の主管で8チームによる第1回全県500歳野球大会が開催されました。ナインの合計年齢が500歳・学童サイズで5回戦・引き分けの場合はジャンケンという、ユニークなこの大会の参加チームは年々膨れ上がり、第12回大会で51チーム、第18回大会で104チームに、そして現在(平成21年第31回大会)では171チームおよそ4000人が参加するまでになり、全国にその名を轟かせる大きな大きな大会となったのです。鳥海地域からは鳥海球友会が参加していますが、今回新たなチームを結成し50歳以上の野球人口を増やすことにしました。その設立総会が昨日行われ、選手登録を予定している26人中14人が出席して設立総会が開催され、チーム名を鳥海クラブとして9月18日から行われる大会に初出場する予定です。私も一員として、野球を楽しみたいと思っています。
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No,209  #2010年06月29日(火)

ホタル夏の風物詩といえば色々ありますが、私たちの鳥海地域では「ホタル」ではないかと思っています。私が子供の頃は、田圃の上を無数のホタルが飛び交い、幻想的な風景を身近に見ることができましたが、その当時は、それが当たり前だったため、特別な風景だとも思わずに眺めていました。それが昭和40年代後半に入って、ヘリコプターによる農薬散布が始まった頃から、ホタルの数が激減しました。水稲への病害虫防除を目的とした農薬の共同散布は、私たち農家にとっては労働力を軽減した上、経費も削減できる魅力のある農法となりました。何より、多くの面積を一斉に同時期に防除するため、害虫であるカメムシ防除には絶対的な効果がありました。また近年は、農業従事者の高齢化が進んでいるため、重労働でもある防除作業は回避したいのが農家の希望となっています。しかし、環境に優しい農業が言われるようになってから、低農薬や減化学肥料への移行、有人ヘリから無人ヘリへの移行と農業も変わってきています。その効果もあり、10年ほど前からホタルの数が少しずつ増えています。今でも忘れられない出来事がありました。それは、今回結婚した長男が鳥海中学校第1期生として卒業する前年ですから、丁度10年前なのですが、学校行事で親子が集まったときの夜に、学校の裏の沢に無数のホタルが飛び交っていたのです。あまりの多さに、みんなで感激した思いがあります。私たちが生活するために、自然を犠牲にすることはある程度やむを得ない部分ではありますが、昔のままの自然を守るのも私たちの役割ではないでしょうか?
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No,208  #2010年06月28日(月

開会式での参加者昨日は、鳥海中学校を会場に市民運動会が開催されました。鳥海三地域で同時に開催された市民運動会ですが、由利地域は一昨年から止めましたし、矢島地域は合併前から実施していないので、由利本荘市の旧1市7町の中で、未だに運動会を開催しているのは鳥海地域だけなのかもしれません。運動会に参加する地域の方々も年々減っているよみんなでジャンプうに見えるのですが、いざ競技が始まると皆さん一生懸命に取り組んでいました。私たちの川内地区では、伏見・下川内・栗沢・上川内A・上川内B・小川の6チームで総合得点を争います。私は伏見チームですが、最近は上位入賞が困難になっており、昨年は屈辱の最下位に甘んじてしまいました。今年も苦戦が強いられましたが、前半を終了して4位に入っていたので、後半にもう少し頑張れば3位を狙える位ボール送り競争置にいました。残念ながら、得点の大きい綱引きが4位、以前は得意だった年齢別リレーも男女とも下位に沈み、総合得点は4位のまま終了しました。雨の心配もあり、お昼をとらないで競技を続けたため、終了したのは午後の1時半でした。後片づけを実施して、午後3時からは、恒例の反省会を伏見会館で開催しました。この日は蒸し暑い天気だったので、生ビールが飛ぶように売れるなど、40人近く集まった伏見チームの皆さんは、反省会だけは優勝した気分を味わっていたようです。因みに50歳以上の60メートル走で、私が記録賞を受賞しました。記録は9秒3という、お粗末なものでした。
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No,207  #2010年06月27日(

披露宴で踊る新郎の父今回は、結婚披露宴第4弾ではありません。昨日は上司のご子息の結婚披露宴が、にかほ市のホテル・キクスイであり、ご案内を受けましたので出席してきました。丁度1週間後の披露宴のため、どうしても長男の結婚披露宴と比較して見てしまう傾向になり、会場も違いましたので、それぞれのやり方があるだろうとチェックしながらご馳走になってきました。違いを上げれば、キクスイでは新郎新婦と両親が迎賓のため並んでいるとき、最初にスタッフ全員とのあいさつがありました。そして、アイリスでは迎賓後の待ち時間を利用してヒストリー(生い立ち)を流しましたが、キクスイでは乾杯後の祝宴の中で映像を紹介していました。また、キクス上司のご子息の結婚披露宴イでは仲居さんがウィスキーの水割りや焼酎の水割りを持って回るサービスをしていました。決定的な違いは、私の上司である新郎の父親が踊ったことです。もともと芸達者な方なので、特にビックリはしませんでしたが、「おーい船方山〜」で始まる踊りを慣れた手つきで舞っていました。1週間前の長男の結婚披露宴での新郎新婦の入場の際の伏見長持唄を歌ったのは、実は私でした。新郎の父親が歌うのはどうなのかな?と思いながらも、歌える人は限られていますので私が歌うしか無かったのです。当初は歌い手も案内しようと思ったのですが、長男が伏見長持唄で入場することに難色を示したため案内しなかったのですが、その後の打合せでやっても良いことになったのでした。昨日の披露宴で新郎の父親の踊りを見て、自分が歌ったことが正当化されたような気がして、ちょっと嬉しかった結婚披露宴でした。そして、凛々しい新郎と綺麗な新婦を見ながら楽しいひとときを過ごしてきました。
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No,206  #2010年06月26日(

緊張気味の主役の二人結婚披露宴第3弾です。長男の結婚は、私にとっては親として最大のイベントであるものの、初めての経験のため戸惑いがありました。これまで上司や先輩の子供の結婚披露宴に招待されてはいましたが、自分に降りかかってくるとは思ってもいませんでしたので、お客さんとしてご馳走になっていた程度で、それほど気にして出席したこともなく、自分の浅はかさに呆れてしまいました。それが、今年の3月20来賓にお酌する私日に親戚の結婚披露宴(NO,116)の案内があり、ビッグチャンスと思いチェックしながらご馳走になりました。そのお陰もあり、大きなミスもなく無事終了することができました。今回の披露宴では、白内掛けから衣装替えをして入場するまでの待ち時間を利用したヒストリーとエンドロールを、地元の業者である善力堂(真坂善人代表)にお願いしました。彼は地元のアマチュアバンドである「ホットライン」のボーカルとしても活躍しており、以前から仕事などをとおして付き合いがありましたので、今回はDVDの作成を依頼していました。長男夫婦は、地元の業者というウェディングケーキへの入刀ことに不安があったようですが、前に作成したDVDを見せてもらってから安心したようでした。今回のヒストリーとエンドロールの出来栄えも良く、披露前に何回も見ましたが、涙を抑えるのに苦労しました。披露宴当日のDVDもお願いしていますが、3時間ほど撮影したものを2時間以内に編集するそうで、お盆前には出来上がるようなので今から楽しみです。新婚旅行に行った長男夫婦も、明日には帰って来るようです。休みすぎて、職場に行くのが嫌にならないでしょうか?
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No,205  #2010年06月25日(金)

今、テレビではワールドカップ南アフリカ大会が開催されています。4年に一度のサッカーの祭典に相応しく、世界中が盛り上がっているように思えます。特に日本が強豪カメルーンを撃破し、負けはしたもののオランダとも接戦の試合をしたので、世界から認められるようになり日本国民の期待が更に大きくなったので、日本の盛り上がりも最高潮となっています。午前3時半からの試合にもかかわらず、結構な視聴率をはじき出すのではないかと期待しています。私は普段から午前2時には起きていますので、全く問題ないというより最高の時間帯の試合だと喜んでいます。間もなくキックオフですが、何故か私まで緊張してしまうのは、ピッチにいる選手と同じように気持ちが南アフリカに行っているのかもしれません。試合が始まりましたので、また後で打ち込みを開始します。前半17分、本田がフリーキックを直接ゴールに突き刺しました。1点先制です。ヤッター!前半30分、今度は遠藤がフリーキックを決めて2点目が入りました。すご〜い!前半を終了して2点差でリードしています。引き分けで1次リーグを突破できる日本にとって、大きな大きな2点で〜す。後半も気を引き締めて、もう1点取るぐらいの気持ちで頑張ってほしいです。決勝トーナメント進出へ向け、後半が始まりました。後半36分、PKを決められ1点差に詰め寄られました。しかし、後半42分にだめ押しの3点目がゴ〜〜ル。今、笛が鳴り3対1で日本が勝利し、目標のベスト4に向け好発進です。次の試合も、この時間帯だったらいいのですが・・・。私にとっては・・・。
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No,204  #2010年06月24日(木)

千本カツラからの鳥海山私たちの鳥海地域には、日本の銘木百選に選ばれた「千本カツラ」があります。この木は、鳥海地域の中心地である伏見集落の鳥海総合支所(旧役場)から車で5分ほどに位置しており、全面舗装とはなっていますが道幅が狭いため気をつけて運転しなければなりません。今年の春先に、側の山の所有者が杉の木を伐採したたため、これまで暗い山の中にあった千本カツラがスッキリして見やすくなりました。ただ、環境が著しく変わったので木に影響がないか少し心配しています。この千本カツラは、約三百五十年前に長崎から移ってきた黒木の姓を名乗る一族が、この地域に住みつき、千本カツラのある地域一帯を所有しました。以来、この木は、神の杉が伐採され明るくなった千本カツラ使いの大蛇が株元にすむ山の神として地元民に崇められてきました。現在は民家はありませんが、1`ほど下った場所には黒木姓の民家がありますので、おそらく遠縁に当たるものと推測しています。この場所からは、鳥海山がきれいに見えますし、直ぐ側には沢が流れています。山菜も豊富にあることから、住むには最適の場所であったでしょうが、冬は大変だったのではないかと思います。里までは一里(約4q)以上ありますので、食料品の買い出しには苦労を強いられたことでしょう。雑念を追い払い、修行するには最高の場所ですので、自分自身を見つめ直したい方、忙しくて心を落ち着けたい方など、異次元の世界に入ったような静寂の中で心を癒してください。
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No,203  #2010年06月23日(水)

伏見長持ち唄での入場結婚披露宴の第2弾を紹介したいと思います。チャペルウェディングを終え、披露宴会場前での迎賓の時間となりました。白無垢で迎える新婦をはじめ、羽織袴の新郎もちょっと緊張気味でしたが、入場は伏見町内会に古くから伝わる長持唄での登場となりました。この長持唄は、1月20日に伏見町内で開催される太平山三吉神社祭典(NO,プロ並みの司会をする野口会長4950)の際に歌うもので、伏見若者会の主催行事として行われる目出度い唄です。もしかしたら、この唄での入場は初めてなのかもしれません。司会者はサークル「山鳩」会長の野口元氏にお願いし、ヒストリーとエンディングロード、ビデオ撮影は地元鳥海の業者である善力堂(ぜんりょくどう)に依頼しました。また、引き物のおまけとして「はたちの会」が作成した「互理楽の足あと」を1世帯に1戸をプレゼントして、PR活動を実施しました。また、キャンドルサー来賓を迎える新郎新婦と両親ビスではハウス栽培の鳥海りんどうを配布して、これから出荷が本格する前にPRしました。私をはじめ妻や長男、家族全員がこれまでお世話になってきた鳥海地域に、少しこだわった結婚披露宴にすることが私の目指すところでした。若干、家族と意見の食い違いもありましたが、最終的には理解してもらい決行することlができました。鳥海地域に恩返しするまでには至っていませんが、これからも何らかの形で実施したいものだと思っています。そのためには、家族の理解がないと実施できないわけですので、コミュニケーションをこれまで以上に取ることで理解を得たいものです。
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No,202  #2010年06月22日(火)

お気に入りの鳥海山撮影ポイントの油絵相馬大作さんのことは、このコーナーでも何回か紹介(NO,111151152183)していますので、ご存知のことと思いますが、風景画家(油彩)で秋田市に住んでいる方です。私は自分でできないことをやれる方を尊敬してしまいますが、特に絵と音楽に関しては大の苦手なので、そういう傾向が強くなっています。絵は自分で書けないのですが、見るのは好きで何枚かの絵も持っています。しかしながら、鳥海地域の風景画は一枚もないので、いつかは求めてみたいものだと考えていました。そんなとき、相馬さんと知り合いになり、鳥海を見て回ってから私と一緒に飲んで語らい、一泊してから翌日も彼はポイントを探して歩いてようでした。そして書いてくれたのが、この絵です。雄大な鳥海山が見下ろすところには小さな集落があり、傍らを子吉川の清流が流れ橋が架かっています。手前には棚田と農道が走っています。この絵を見て、どこであるかを直ぐ分かる方は、鳥海地域の方でもそんなにはいないのかもしれません。それぐらい、滅多に通るような場所ではありませんし、気づく方が少ないと思われます。鳥海山の撮影ポイントは多くありますが、この場所は私の好きなポイントの一つであり、相馬さんも気に入ったようで最初の絵に選んだようでした。今回の絵をはじめ、鳥海地域の色んな場所の風景画を描いてもらい、個展の際には何枚かの絵を飾っていただければ有り難いものです。年内には、フォレスタ鳥海での個展も企画していただければ、私もお手伝いしたいと考えています。その際は、皆さんも是非お越し下さいネ。
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No,201  #2010年06月21日(月)

川内小学校から見た鳥海山私が住む鳥海地域からは、色んな場所から鳥海山を望むことができます。また、天候や時間帯によって様々な顔を現す鳥海山は、私たちの誇りであり秋田県の山として東北を代表する名峰です。しかしながら、山頂は山形県領になっているため、全国的には山形県の山として認識されているのかもしれません。秋田県ではチョウカイサンと言いますが、山形県ではチョウカイザンと、濁っていうことを知っていますか?何故かは良く分かりませんが、意識して言っているようなので歴史的なものがあるのかもしれません。その鳥海山の百宅口の山開きが河川公園と鳥海山、恒例行事として6月第3日曜日に開催されており昨日行われようですが、天候が悪く大変だったのではないかと思っています。私も、昨年の山開きには参加しました。遅い方々に付き合って行ったため時間がかかってしまい、8合目の唐獅子平でタイムアップとなってしまいましたが、その2週間後にも挑戦して山頂まで無事踏破してきました。今年もこれから挑戦したいと考えており、興味のある方を誘っていますので連絡ください。私たちの心のよりどころとなっている鳥海山は、子吉川に清流を潤して飲料水や農業用水として恵みの水を与えています。その恩恵を享受している私たちは、鳥海山に感謝の気持ちを持ちながら力強く生きて行かなければならないと思っています。
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No,200  #2010年06月20日(

チャペルウェディングこのコーナーが200回目を迎えました。それも連載での達成であり、自分自身でもビックリしています。イタズラで始めたような気がしますが、このように長く続くと日課のようになってしまい、止めるに止められないようになってしまいました。ただ今日は、昨日の後始末もあり、また疲れがたまったせいか更新がかなり遅れてしまいました。200回目の記念に、昨日開催された長男の結婚披露宴を掲載したいと思います。何回かに分けて紹介しますが、とりあえず今日はチャペルウェディングの様子をお知らせします。私自身は初めてのことであり、どのようになるのかも知らないままに望んだわけでしたが、ホテル・アイリス内の教会のような雰囲気の会場で、牧師によっての結婚式でした。この中で、牧師さんからの「喧嘩したとき、正しいと思った方が折れてください」と、いう言葉が心に残っています。相手を思いやる気持ちが大切であることを教えられました。若い二人にとって、今後色んな障害に直面することがあると思いますが、相手の気持ちを考えながら手を携えて、頑張っていってほしいと願っています。
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No,199  #2010年06月19日(

朝靄に煙る小栗沢集落今日でNO,199ですので、明日は記念すべき200回目となります。この独り言を書くようになってから、歩いていても自動車を運転していても、また農作業をしていてもデジカメを持つようになりました。とりあえず写真を撮っておけば、後で役に立つことがあるからで、ネタに困らないように常に携帯しています。以前は、気づかなかった身近な風景が素晴らく綺麗で、美しく思えることが増えてきました。感性が豊かになったのではなく、これまでの見方に問題があったわけで、今後は小さなことにでも気づくように心がけて行きたいと思っています。写真は、私の上田野の田圃から見える小栗沢集落を撮ったもので、草刈りに行ったときに覗いブナ林の中を通る道路てみたら良い感じだったのでシャッターを切りました。朝日が上がる前で、若干薄暗いときでしたので写真全体が暗いですが、朝靄の中に佇む集落は何か趣を感じてしまいました。2枚目の写真は、鳥海地域でありながら私が初めて通った道路で撮影しました。吉谷地集落から高口へ越えて行く道路ですが、道幅が狭く未だに砂利道がほとんどの道路でした。途中、ブナ林があまりにも綺麗だったのでシャッターを切りました。鳥海地域にはブナ林はいくらでもありますが、車が通れる道路の両側にブナ林が存在するのは貴重だと思いました。まだまだ、通ったことない道路や地域があるかもしれませんので、自分の生まれ育った鳥海地域だけでも知り尽くしたいものだと思っています。そして、読者の皆さんに紹介して行ければと考えています。
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No,198  #2010年06月18日(金)

日本海に沈む夕陽最近は秋田市へ行くとき、高速道路を利用する機会が増えました。と、いうのもETCを装着したからかもしれませんし、15分ぐらいの時間短縮にもなりますので、燃費を考えれば4〜500円の高速料金なら安いのかもしれません。それでも、岩城から秋田市まで行く場合、すれ違う車の少なさには驚かされます。いつかニュース番組で取り上げられたこともあるほど、利用する車の少ない高速道路となっています。せっかく作っても利用しないのには理由があるわけで、利用してもらえるような料金体系にするなど、もう少し検討してほしいものです。高速道路を利用することにより、国道7号線の海岸通りを走る機会が減ってしまいましたが、先日、126回目の献血をアトリオンでしてから帰るとき、久しぶりに海岸通りを走りました。夕陽が日本海に沈む前で、波のない穏やかな海に夕陽が映ってきれいなので、運転しながらシャッターを切りました。片古代米の手植えをするAIU秋田応援団の皆さん手運転での撮影ですので、ガードレールが映ってしまうなどいい絵は撮れませんでしたが、雰囲気だけ分かってもらえれば幸いです。由利本荘市には日本海があり、鳥海山をはじめとする山々が連なっていますし、花立・由利原などの鳥海高原もあります。子吉川をはじめとし芋川、石沢川が日本海へと清流を注いでいますし、その清流で育まれた田園地帯で「あきたこまち」や「ひとめぼれ」の水稲栽培が盛んに行われ、かつては「由利のササニシキ」として産地化されたこともありました。現在も由利本荘産米の評価は高く、全国からの注文が多くあり売れ残ることは無いと聞いています。この恵まれている環境を観光に生かし切れていないと思うのは、私だけでしょうか?
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No,197  #2010年06月17日(木)

披露宴のイメージ写真長男の結婚披露宴が、いよいよ2日後に迫ってきました。19日の土曜日にホテル・アイリスで行われるわけで、結構忙しい毎日を過ごしています。特に席順を決めるのに苦労しましたが、主催者である私たちに決定権があるものの、招待を受けた方々との思惑が多少なりともずれてしまうと、失礼なことになってしまいます。それでも、慶事に免じて許して頂かなければなりませんので、今の内にお願いしておかなければなりません。また、送迎バスを利用する方々の名簿作成や乗車責任者の選任、二次会の準備など、やることはいっぱいありまして取りこぼしがないか心配です。27年前の自分のときより気楽なはずなのですが・・・。主役では無いかわり、主催者であるという責任が重くのしかかってくるからなのでしょう。親という役割を果たすためには、子供の倍以上の苦労をしなければ成り立たないのかもしれません。今回の披露宴には、東京から娘も約3カ月ぶりに帰ってきますので、久しぶりに親子5人が揃うことになります。これからは、なかなか一緒になることがないと思いますので、写真を一杯撮りたいと思っています。さらに、風の便りで10kgほど痩せたという、娘の姿を見るのが楽しみでしょうがありません。まずは滞りなく、無事に終了することをただただ願うだけです。そして、二人にとって一生忘れることのない披露宴となることを期待しています。
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No,196  #2010年06月16日(水)

新緑につつまれた大池大自然に囲まれている鳥海地域には、風光明媚な場所がいくらでもあります。ただ住んでいる私たちは、特別な感情も持たずに何気なく見過ごしていることが多々あります。それらを気づかしてくれるのが、観光客の皆さんのような気がします。観光客は、何かを得たくてやってきますので、どんな場所でもどん欲に何かを発見しようとします。そうした違いが、地元住民と観光客の間に発生しますので、観光客から学ぶことが多いような気がします。観光客に限らず、外部から訪れた方々は鳥海地域を見る目が違います。5月末に訪れてくれたAIU秋田応援団の皆さんからは、そんなことを教えられ私は目から鱗状態でした。先日、笹子地区の皿川集落の奥地にある大池を訪ねる機会がありました。伏見地区からだと40分ぐらいのところにあり、舗装道路女甑と名勝沼から砂利の道になって終点まで車で行ってから、徒歩で5分程度のところにあります。地元の方も滅多に行かない大池には、私も10年ぶりぐらいに行きシャッターを切りました。この大池は「所ジョージのダーツの旅」でも紹介された沼で、冬はワカサギ釣りができます。しかし、除雪されている道路の終点から歩くと1時間以上もかかりますので、よっぽど気合いを入れていかないとたどり着かないことになります。この大池の更に奥に入っていくと、名勝沼と男甑・女甑があり山形県境に近づいて行きます。昔は山形県と秋田県を最短距離で結ぶ大切な道だったようですが、車社会となった現代では車で行けない道路は利用価値がなくなっています。この遮断されている道路が山形県まで結ばれれば、観光客が容易に鳥海地域を訪れることが可能となるのに・・・。
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No,195  #2010年06月15日(火)

決勝点を挙げ喜ぶ日本選手4年に1度のサッカーの祭典であるワールドカップ南アフリカ大会が開催され、日本が初戦であるカメルーンとの試合を1対0で制し、見事に勝ち点3を取る好発進となりました。4大会連続4度目の出場ですが、初めて初戦で勝ち点3を取ったことで、これからのオランダ、デンマークとの戦いに勢いがつくことでしょうし、何より応援している日本中の方々が大いに盛り上がって行くことでしょう。決勝点を挙げた本田圭佑が言っている「ただ、あくまでも1勝だってことを忘れてはいけない。俺はストライカーじゃないし、ストライカー的なことをやってもあかんなと。できることをやろうと、できて相手が嫌が軽トラに乗って喜ぶAIU秋田応援団の皆さんることをしようと思っていた。2点目が取れたら文句なかったけど、課題が見えたのが良かった。オランダはこんなに甘くいかないと思う。いいスタートを切れたが、大事なのはこれからだと思う。」1次リーグ突破には貴重な勝ち点3であるが、日本が掲げた今回の目標であるベスト4進出には、まだまだ始まったばかりで浮かれているわけにはいかない。決勝点を挙げたあのシュートといい、インタビューの受け答えといい落ち着き払ったあの態度を、私は本田を日本に必要な貴重なタイプの人間に見えました。とかく周りの目を気にしながら行動をしなければならない日本人にとって、ああいうタイプは少しずつ増えて行かなければなりません。特に田舎にとっては貴重な人間になりそうです。田舎に新風を巻き起こすには、怖い者知らずの若者が外部から進出することが必要な気がしてなりません。若者の斬新なアイデアや行動は、田舎を変えてくれる期待があります。
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No,194  #2010年06月14日(月)

鳥海球場鳥海地域は、野球が盛んな地域です。それは、昭和45年に少年野球大会で川内中学校が本荘市由利郡予選に初優勝して、県大会に出場してベスト4まで進出してからのような気がします。その後、昭和49年と53年に同中学校が県大会出場を果たしました。そして、平成14年に川内・直根・笹子の3中学校が統合して鳥海中学校として初出場した郡市総合体育大会では、見事に優勝を成し遂げ県大会出場を果たしました。その後、平成16年から4年連続で優勝し、県大会の常連校としてその名を知らしめました。学童野球(後はスポーツ少年団野球)でも、川内スポ少が県大会出場を数回果たしています。また、高校野球でも甲子園に出場した地元選手が10名前後います。このような選手が大人となり、鳥海地域の社会人野球に出場することで、レベグラウンド整備をする各チームの選手ルの高い野球を楽しむことができます。以前、平根クラブが県大会を制して東北大会出場を果たしていますが、今年の高松宮賜杯野球大会でも久しぶりに由利本荘市予選で優勝し、県大会の出場権を獲得しています。OB(壮年・40歳以上)野球大会でも、鳥海クラブが6年連続で県大会に出場しており、昨年はベスト4まで勝ち上がっています。先日出場したマスターズ本荘由利予選でも優勝し、7月10〜11日に三種町で開催する県大会に出場します。50歳以上で構成する鳥海球友会も、一昨年はベスト8まで勝ち上がっています。このように子供から大人まで野球を楽しめるのは、鳥海球場という素晴らしい施設があるためであり、昨日の朝7時からは日頃の感謝の気持ちを込めて、各チームから2人ずつ参加してグラウンドの整備を行いました。二日酔いで苦しそうな若者もおりましたが、このような活動に参加することが地域づくりに結びつくと考えています。
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No,193  #2010年06月13日(

挨拶する三森支部長昨日は紫水館において、平成22年度拓道同窓会鳥海支部総会が行われました。拓道同窓会とは矢島高校の同窓生の集まりで、これまで9,800人を超える卒業生を輩出しており、2〜3年後には10,000人を突破するようです。総会では必ず校歌を歌ってからはじめますが、1年に1度のこの機会でないと歌うことがなくなってしまいました。この日は、40人ほどが参加して議案審議も無事に終了し、最大の目的である懇親会に入りました。同窓会の松田会長をはじめ本部事務局、伊藤校長にも同席いただき賑やかな懇談となりました。その席で、校長と話す機会があり、生徒が地域活動にボランティアで参加していることを知りました。3月に校歌を歌う参加者矢島で行われた雛街道で、道先案内人をかってでたそうです。高校生にとって矢島を勉強する機会にもなったようですし、観光客を案内することで自分に対して自信が持てるようになったそうです。また、全国初の中高連携校となった昨年は、地元の矢島中学校から7人しか入学しなかったのが、今年は26人が入学したそうです。中学生と高校生が同じ敷地内で学ぶことで、鳥海登山のように学校行事などで一緒になることがあり、矢島高校を見直す機会が増えたことが要因かと思いました。私が入学した八森城址の矢島高校は既に解体されましたが、中高連携校として生まれ変わった矢島高校が、今後地元の中学生から憧れの高校として進学してもらえるように、母校の将来を期待せずにはいられません。
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No,192  #2010年06月12日(

作業小屋のツバメの巣今年も我が家の作業小屋に、ツバメがやってきました。ツバメの巣は5つぐらいあるのですが、今年は入り口付近の巣を選んだので、糞が車に落ちないように段ボールで覆わなければなりません。何故ツバメが人目につきやすい所で営巣するのかを調べてみたら、巣や卵や雛を、他の鳥の攻撃やヘビなどから守るためで、人間をガードマン代わりに利用しているためのようです。人がいつもいるところ、人の出入りが多いところでは、巣を奪うスズメや卵や雛を狙うカラスなどが近づかないことから、力の弱いツバメは人間の近くで営巣することによりその非力をカバーしているようです。なんと頭の良い鳥なのでしょうか。また、水稲栽培において穀物を糞が付かないように軽トラを段ボールで覆います食べず害虫を食べてくれる益鳥として古くから大切にされ、ツバメを殺したり巣や雛に悪戯をする事を慣習的に禁じ、農村部を中心に大切に扱われてきました。江戸時代にはツバメの糞は雑草の駆除に役立つと考えられていたようです。「人が住む環境に営巣する」という習性から、地方によっては、人の出入りの多い家、商家の参考となり、商売繁盛の印ともなっていました。また、ツバメの巣のある家は安全であるという言い伝えもあり、巣立っていった後の巣を大切に残しておくことも多いようです。毎年のようにやってきて、5〜6羽の雛をかえして帰って行きますが、私の母が「巣を出るときは良い日に飛び立つ」と、言っていたので気にして見ていたら、確かに昨年は大安の日に巣立っていきました。ただ、2〜3日は我が家の付近で鳴いていましたので、育ててもらった感謝の言葉でも言っているのかと思いました。さて、今年も大安に巣立っていくのでしょうか?
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No,191  #2010年06月11日(金)

南アフリカのサッカー競技場サッカーのワールドカップ南アフリカ大会が今日から開幕し、1カ月間にわたる4年に1度の祭典が始まります。と、言っても日本の初戦は14日のカメルーン戦で、続いて19日のオランダ戦、24日のデンマーク戦となっています。今回の日本はベスト4を目指しているわけで、1次リーグを突破して次のステップに進出するためには初戦を勝利で飾り、次の2試合を引き分け以上で終えたいものと思います。最近でこそ4大会連続で進出している日本ですが、1998年に初出場するまでのワールドカップへの道のりは厳しいものがありました。特に思い出深いのは、Jリーグがスタートした1993年に「ドーハの悲劇」が起きたことです。1994年米国大会の最終予選は中立地のカタール・ドーハで行われ、勝てば初出場が決まるイラク戦は、2−1で後半ロスタイム。CKをしのげば勝利するところまでこぎ着けた。しかし、ショートCKからヘディングシュートがゴールに吸い込まれ、肩を組んで最後のプレーを見守っていたFW中山雅史(現J2札幌)は、両手で顔を覆い、その場に崩れ落ちました。私は野球が大好きですが、高校時代はサッカーのテレビ観戦が好きで、土曜日の午後から放送される「世界のサッカー」をよく見ていました。その頃(約35年前)の日本のサッカーは、中学生と大人ぐらいの差があり恥ずかしくさえ思えたものでした。それが、Jリーグがスタートした頃からレベルアップし、今では世界で戦えるところまできました。確かに戦う以上は勝利を求めることは当然のことですが、日本サッカーの歴史を振り返りながら、選手皆さんの頑張りと健闘をテレビの前で応援しましょう。
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No,190  #2010年06月10日(木)

山鳩会館前でAIU秋田応援団と記念撮影サークル「山鳩」は、政治と宗教活動は一切してきていませんし、今後も関与しないことにしています。ただ、昨年発足した鳩山政権には少し期待感がありました。と、いうのは山鳩をひっくり返せば鳩山となりますので、昨年にサークル「山鳩」が創立30周年を迎えたこともあり、節目の年に政権交代を果たした鳩山政権には頑張ってもらいたいという、私なりの期待があったわけです。残念ながら、1年ももたいないで菅内閣がスタートしました。鳩山政権は終焉を迎えましたが、サークル「山鳩」は今後も地域に根ざした活動を目指し、頑張って行くつもりですので皆様の温かいご声援をお願いいたします。話しは変わり、先日車中のラジオで耳にしたことをお話しします。山形・岩手県民は「俺もやるからお前もやろう」、宮城・福島県民は「お前が法体の滝で橋を渡るAIU秋田応援団やるなら俺もやろう」、青森県民は「俺はやらないけどお前はやれ」、そして秋田県民はどうでしょうか?だいだい想像できるかと思いますが、足引っ張りの県民性を表した言葉で表現しています。「俺はやらないからお前もやるな」だそうです。「なるほど」と、思わず思ってしまいました。秋田県からは総理大臣が一人も出ていませんが、隣の岩手県からは4人が誕生しています。私も含めた秋田県人は、もしかしたら偉そうになった人を「もへなってる」と思う風習があるのかもしれません。そして「出る杭は打たれる」という言葉がありますが、出ようとすると打つ人が現れるのが秋田県なのかもしれません。秋田県を本当に良くしようと頑張っている人は、政治家であろうが芸能人であろうが、足を引っ張らずに手を引っ張るようにしなければ、明日の秋田県に魅力は感じません。
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No,189  #2010年06月09日(水)

法体の滝でくつろぐAIU秋田応援団の皆さん鳥海地域を訪れた方々を案内するとき、必ずといっていいほど行くようにしているのが「法体の滝」です。法体の滝は霊峰鳥海山の水を集めて下りながら、山頂に面して落ちる流長100m、落差57.4m、滝幅3m〜30mの末広がりの名瀑です。1の滝13m、2の滝2.4m、3の滝42mの落差をもつ3つ滝からなるこの滝は、3,000uの滝つぼと、1の滝上流部、2の滝河床に見られる大小無数の甌穴群が、女川層の硅質泥岩に生じたもので、学術的にも珍しく昭和35年12月、秋田県名勝及び天然記念物第1号に指定されています。この滝の大きな特徴としては、車を降釣りキチ三平を撮影した証の看板りれば直ぐそこに滝があることで、更に滝を見ながらキャンプを張れるのは全国でも珍しいのではないでしょうか?子供からお年寄りまで、誰でも簡単に見に行くことが可能なこの滝は、鳥海地域のシンボルとして親しまれています。2年前に、この滝で「釣りキチ三平」のクライマックスシーンが撮影され、これまで以上に全国に知られるようになりました。アカデミー賞を獲得した「おくりびと」の監督である、滝田洋二郎氏がメガホンを取ったこともあり一気に知名度が上がったような気がします。しかしながら、法体の滝を目指して全国から集まってきた観光客を、千本カツラや清水渕峡、猿倉温泉などへ足を運んでもらい宿泊するような手だてが希薄なような気がします。そして、一人でも多くのリピーターになってもらうためには、私たちは今何をしたらいいのか、何をやらなければならないのかを、再点検することも大切なのかもしれません。
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No,188  #2010年06月08日(火)

払川からの朝日と雲海天気が良いと鳥海山に向かっていき、山菜採りや写真を撮ることがあります。最近お天気が続いていますので、矢島町の払川まで行ってきました。登る途中、朝日が赤くきれいに空を焦がしており、雲海が低くたれ込んでいたのでシャッターチャンスを逃すことなく撮影をしました。この時点で4時前で、辺りは少し薄暗いので写真全体が暗くなっています。払川に着き鳥海山の写真を撮っていたら、大型バスが上がってきましたのでナンバーをみたら新潟でした。30人近くいたで新潟からのアマチュアカメラマンの皆さんしょうか、60歳代の男女が一斉にバスから降りてきて、私は既に撮影してきた下界の朝日の風景を撮り始めました。残念ながら朝日は雲の中に入ってしまい、赤くきれいな空を撮ることはできなかったようでした。聞いてみたら鳥海荘に前日から宿泊し、4時に宿を発ってきたとのことで、あと10〜20分早ければもっと良い被写体に巡り会えたことになります。しかしながら初めて訪ねてきたとのことで、その日は夜中に少し雨が降っていたので「鳥海山を見られて良かったですね」と、声をかけました。この方々の中から、鳥海山の魅力に取り払川からの鳥海山付かれてリピーターとして何度も訪れてくれる方が、一人でもいたらラッキーだと感じました。私も払川のヒュッテと鳥海山を撮りましたが、そのとき手前の駐車場に1台だけある乗用車が少し気になり、写真の端っこに納めました。そしたら、「岩手県の方(79歳)が4日午後から払川に春スキーに出かけたまま帰らない」と、秋田さきがけ新聞に掲載されていました。と、いうことは5日の早朝に払川駐車場で撮った写真に写っている自家用車は、正しくその方の車なのでしょう。
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No,187  #2010年06月07日(月)

気の許せるジースリービー会の仲間たち5日土曜日は、日本マスターズ軟式野球(40歳以上)大会本荘由利予選が象潟であり、2回戦から出場の鳥海クラブはナイスミドル子吉(本荘)を相手に、7対1で破り翌日の準決勝に駒を進めました。昨日(6日)は、会場を金浦に移しPRINCE−OB(金浦)を打撃戦の末、13対4の5回コールドで勝利し初出場で決勝に進出しました。決勝の相手は、打撃のチームのIT HONJYO(本荘)で、序盤こそ接戦の試合展開となりましたが、終わってみれば12対2の圧勝で見事に優勝を飾り県大会への出場権を得ました。私といえば、2回戦は選手として2番レフトで出場しましたが、準決勝は10人しかいなく監督代行として采配に徹しました。決勝には本来の監督が間に合いましたので、午後2時からの結婚披露宴の打合せのためにホテル「アイリス」(本荘)に急いで向かいました。15分ほど遅れて会場に入り、当日の流れや席順、食事等について確認しながら打合せを行い3時間ほどで終了。この日は、高校の恩師である故佐々木洋介の命日で、日曜日にあたったのでジースリービー会のメンバーに通知し、墓参りを計画していたのですが披露宴の打合せが入ってしまい、参加できなくなってしまいました。それでも、本荘駅前の直来の場所などを手配した関係もあって、参加してくれた10人に顔を出してお茶で乾杯し、30分ほど参加して直ぐさま帰宅して席順表づくりに取りかかりました。今日の夕方までの提出となっており、妻のお陰でナンとか間に合いそうですが、野球の祝勝会にも参加できませんでした。因みに日本マスターズ軟式野球県大会は、7月10、11日に三種町で開催されます。
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No,186  #2010年06月06日(

オープンハートオコジョの小沼保健師(左)と千島さん昨年の秋田県の自殺率(10万人当たり)が38.1となり、15年連続で全国ワーストとなったようです。自殺者数は平成19年、20年と2桁台で減少していたのですが、3年ぶりに増加に転じ、6人増の416人となっています。因みに全国の自殺者数は、前年に比較して420人増えて3万649人となっており、ワーストの本県に続いて青森(34.5)、岩手(34.4)の自殺率が高く、北東北3県の実態が明らかになっています。全国の自殺率の平均が24.4ですので、かなり高い数字となっています。本県の中でも、鳥海町の自殺率が高いと聞いていますので、全国でワーストの地域になっているのかもしれません。先日のワンコインステージで、オープンハートオコジョの団体紹介をしたわけですが、このような鳥海地域の実態を打破するための活動を実施しています。メンバーは30〜70代の12人と、サポーターが4人の構成となっているようですが、活動の目的が目的だけに難しい動きや言葉遣いになりそうです。これまでの活動は、研修会への参加や自殺予防啓蒙活動、自死遺族の会への協力・話し合いで、今後はオコジョ音頭の作製、人形劇なども計画しているようです。合い言葉を「あなたが大切」として、鳥海地域の自殺予防に取り組んでいるオープンハートオコジョでは、新たな仲間も探しているようなので、活動に協力したい方や興味のある方は鳥海総合支所の市民福祉課(0184−57−3501)まで連絡してください。保健師さんが事務局を担当しているようです。新たに結成されたボランティア団体を陰ながら応援して行きたいと思っています。
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No,185  #2010年06月05日(

互理楽の足あと制作中12月3日から始めたこの「事務局の独り言」コーナーも、半年が過ぎて1年の折り返しを地点を通過し、今回がNO,185となりました。アッという間の6カ月で、充実した時を刻むことができました。希望のあった鳥海中3年生9人を対象にした「高校受験対策事業」は、12月19日から講師の草階君(秋田市)のお陰で9回実施し、皆さん希望の高校に進学しました。同じく12月から開始した「知的障がい者との交流事業」は、はたちの会の皆さんとクルミの殻を使った足裏マッサージ杉板「互理楽の足あと」を作成しました。この事業を「あきたスギッチファンド30万円コース」に応募したところ、13団体が応募した中からの2団体に見事採用されました。それも、ダントツでトップの評価を得てのものでした。現在は鳥海地域の道の駅やAIU秋田応援団との交流(千本カツラで)直売所、温泉施設で950円で販売していますので、どうぞお買い求めください。2月には、秋田県由利地域振興局長より「元気な由利の郷づくり表彰」を受賞し、祝賀会も開催しました。残念ながら私は、娘の就職準備のため上京し参加できませんでしたが、鳥海総合支所長をお招きし盛大に実施しました。3月には「ブラボー中谷チャリティーマジックショー」を開催し、山鳩会館が超満員となる約70人の観衆で埋め尽くされ、異様なほどの盛り上がりで終えました。4月には総会を開催し、5月にはAIU(国際教養大学)秋田応援団との交流事業、ワンコインステージを開催しています。このような状況なので、山鳩会員も少しウンザリしている方もいると思います。ただ「大学生と話しができて世界が広がった」という、会員の一言が私をホッとさせました。
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No,184  #2010年06月04日(金)

鳥海荘さなぶり祭り昨日は鳥海荘の「ホッと一息さなぶり祭」に行ってきました。私を含め、山鳩のメンバー4人で行ったわけですが、6時からの飲み会にもかかわらず、着いた時点で既に始まっている状態でした。今回の祭は天鷺ワインが飲み放題で3000円、それ以外の酒類は特別価格で販売するということで、生ビールは250円の販売でしたので、みんなで2杯ずつ飲んでからワインをたっぷりいただきました。会場は超満員の状態で、すれ違うのも大変な状況でしたが、ほとんどが知っている方々で、和気藹々の中楽しいひとときを過ごしました。抽選会もありましたが、4人中一人が当たった商品は石鹸で、山鳩会館への寄付となりました。ところで、昨日の魁古代米手植え体験の新聞記事の朝刊を見ましたでしょうか?5月29日に開催した、古代米の手植えが大きく掲載されていました。それもカラーで・・・。ただ、サークル「山鳩」が伏見町内会の有志という、間違いの部分もありましたが、取り上げてもらったことは大変有り難いことで、感謝しているところであります。まだ見ていない方は、是非ともご覧いただきたいと思いますので、6月3日(木)の秋田さきがけ朝刊26面を、ご注目願います。記事に掲載されているように、AIU秋田応援団とは秋の収穫の時期はもちろんのこと、今後も機会を捉えて交流を図っていきたいと考えています。
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No,183  #2010年06月03日(木)

相馬さんの作品「春」(大潟村より寒風山)皆さんは、風景画家の相馬大作さんをご存知でしょうか?NO,111151152でも紹介していますが、秋田市に在住の相馬さんは武蔵野美術学園油絵科を卒業後、カンボジアとベトナムへ取材旅行に出かけています。ロシアのハバロフスクでの個展をはじめ、秋田県内を中心に年数回の個展を開催しています。前回に雄和での個展の際に会ったとき、時間を調整して鳥海に来てほしいと話しました。それは、彼の作品に鳥海山の絵が少ないので、是非鳥海地域からの鳥海山をはじめ、自然の風景を描いてもらいたかったからです。それから3週間ほど経ってから電話があり、先日、鳥海地域を一緒に回って案内しましたが、題材に困ら百宅からの早朝の鳥海山ないくらいの素材に恵まれていることを話していました。千本カツラや鳥海地域からの鳥海山、子吉川など描きたいポイントをチェックしてから、フォレスタ鳥海の風呂に入って、また感動していました。ツルツルした温泉が気に入ったようで、鳥海の奥の深さを満喫したようでした。山鳩会館に1泊して、翌日はポイントを取材して場所の確認をして歩いたようです。昨日、お礼のメールが届いたのですが、翌日も鳥海を訪れて取材したようでした。3日連続に渡っての鳥海地域を、今後キャンパスに描いていくことでしょうが、出来上がりが楽しみでしょうがありません。普段見慣れた風景が、油絵に変身して見れることにドキドキしています。この縁を大切にして、鳥海地域の作品をより多く書いてもらうことで、鳥海のPRにもなります。何よりも相馬さんに、日本を代表するような画家に育ってほしいと願っています。
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No,182  #2010年06月02日(水)

5月30日(日)は、AIU(国際教養大学)秋田応援団を学校まで送ってから、本荘文化会館で行われたBRONZE(ブロンズ)のライブに行きました。「千人ライブ」と称して、本荘文化会館を千人の観衆で埋めようと頑張り、チケットは約950枚ほど売れたようですが、当日は800人が訪れてステージを楽しみました。オープニング曲を終え、ステージ上で話し始めたサックス担当のChihoは、多くの観衆に感激して涙声で感謝の気持ちを訴えました。「本荘文化会館を満員にするのは難しい」と言われるほど、由利本荘市の方々はお金を出してコンサートやライブのステージに行く人は少ないのです。以前、ハウンドドックのコンサートがあり本荘文化会館に行ったのですが、1階席が6割程度しか埋まりませんでしたが、翌日の湯沢市文化会館本荘文化会館で行われたブロンズのチケットでは満員になっていました。ですから「一流のアーティストは由利本荘市には来ない」と言われているそうです。そんな中で、1階席が埋まり2階席まで観衆が訪れた理由としては、由利本荘市出身のバンドを応援しようとする方々が、結集した結果なのかなと思いながら聞いてきました。ただ、7月にモントルージャズフェステバルに行く壮行ライブ的な要素もあり、手放しでは喜べない部分もありそうですが、今後も応援してくれる市民が一人でも増えていくように努力することが求められます。そのためには、ブロンズが常に大切にしている「地元意識」を忘れることなく、世界に羽ばたいてもおごることなく、由利本荘のブロンズとして活躍することを願っています。昨年のサークル「山鳩」創立30周年にゲスト出演していただいた際に、後援会に入った一人として陰ながら応援して行きたいと思います。
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No,181  #2010年06月01日(火)

憧れていた軽トラックの荷台で撮影5月30日()は、久しぶりの好天に恵まれ鳥海山が顔を出して歓迎してくれました。午前6時、AIU(国際教養大学)秋田応援団の10名が貝沢集落に出かけ、雄大な鳥海山を見て感動してから、小菊の芽差しとアスパラの収穫を体験しました。残念ながら3名は、バイト等があり早めに帰りましたが、残る7名は朝食までの1時間余りを作業に没頭し、腹を空かして帰って来ました。朝食には前日に取った菜の花と鳥海山をバックにワラビが出ましたが、「美味しい」の連発で喜んで食べていましたし、ご飯の美味しさにもビックリしていました。部屋の掃除を済ませて、前日の会場の後片づけも手伝ってもらってから、山鳩会員3名と共に秋田市に向かい出発しました。最初に矢島駅に立ち寄り、前日のワンコインステージで「慕情・子吉川」を唄ってくれた「売店のおばちゃん」こと、佐藤まつ子さんに挨拶に行ったのですが残念ながら留守でした。花立牧場のミルジーで休憩してから菜の花畑に行きましたがジャージーソフトの土田牧場、未だに見頃が続いており学生たちは黄色の絨毯と鳥海山に圧倒されていました。南由利原旅行村にも顔を出して、知り合いの職員と言葉を交わしから仁賀保高原の土田牧場に行きました。ここではジャージーソフトがお勧めです。天気も良かったので、大勢のお客さんで賑わっていました。高原を後にして、西目の「ハーブワールド秋田」と道の駅に寄って、お土産を買う時間を設けました。何故か大根などの野菜を買っていく大学生もいましたが、由利本荘市の観光地などを見て回った参加者は、有意義な二日間を過ごしてくれたことと感じています。次回の交流も楽しみにしています。




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