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「粟津號」追悼映写会の開催
平成12年8月16日(水)秋田魁新聞より

 ことし三月、五十四歳の若さで亡くなった男鹿市出身の俳優・粟津號(あわつ・ごう)さんの追悼映写会が十五日、粟津さんの妻・倶子さん(四八)を招いて鳥海町猿倉の「鳥海荘」で行われた。粟津さんは、父親が鳥海町出身の俳優・三船敏郎さんを題材にしたひとり舞台「三船敏郎外伝」などを通して同町と縁が深く、「三船敏郎の里」を標ぼうする町内有志が企画した。
 粟津さんは、芝居作りのため七年前からたびたび同町を訪れて地元の住民らと交流を続けており、粟津さんの人柄や作品にかける熱意にほれ込んだ町内有志二十六人が「粟津號追悼映写会実行委員会」(野口元委員長」を組織して準備を進めていた。
 映写会には県外などから同町に帰省中の約四十人が出席。一連のひとり舞台の先駆けとなった自作自演の「上野駅14番線」を上映した。鳥海町出身の出稼ぎ男性が上野駅ホームで事故死した事実に題材を取った芝居で、二年前に同町で公演した際の舞台を実行委の一人がビデオで記録していた。出席者たちは粟津さんの迫真の演技にあらためて息をのんでいた。
 上映に先立って倶子さんは「俳優の原点に返ろうと夫がひとり舞台を企画し、一緒に鳥海町に初めて取材で訪れたことを昨日のことのように思い出します。粟津にとっても自分にとっても(鳥海町は)転機となった大事な町。映写会を開いてくれて心から感謝します」とあいさつした。
 実行委員会の野口委員長(矢島地区消防組合勤務)は「俳優という仕事にかける情熱に打たれた。粟津さんは鳥海町の応援団でもあった。残してくれたもの大切にし、粟津さんのメッセージを伝えていくことが恩返しになると思う」と話している。
 粟津さんは秋田魁新報にエッセー「俳優(わざおぎ)がゆく」連載中の昨年六月、胃がんを患い、胃の全摘出手術を受けた後も連載を継続。ライフワークとなったひとり舞台や脚本執筆中のことし三月十五日に死去した。
 同実行委は来年の一周忌前後に、粟津さんの関係者らを招いた映写会を開く予定。

記事・画像 秋田魁新報社提供
(平成22年3月19日 著作権許可済み)







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