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サークル「山鳩」30周年を迎えて

サークル「山鳩」 会長 野口 元

 昭和54年5月に結成、誕生したサークル「山鳩」が本年、記念すべき30周年を迎えることとなりました。これも結成当初からご指導ご協力いただきました鳥海町当局を初め、社会福祉協議会、青年会など関係各位皆様のお陰と心より感謝と御礼を申し上げます。
 今、思い起こせばあっという間の30年という気がいたしております。
 結成人力での除雪作業当初は、バレーボール大会や駅伝大会、青年会行事への参加など地域に残る同い年の仲間が集い、心地よい汗をかき、おいしい酒を飲みながら語らい、同い年ながら中学校の違う鳥海在住者との親交を深めたものでした。
 その後、サークルとしてボランティア活動や青年会を始めとする他団体との交流や町興し活動をしながら、会員相互の親交を更に深めて参りました。現在も続けている活動のひとつとして、単身老人宅の除雪機械による除雪作業の様子作業がありますが、昭和56年頃はスコップとスノーダンプでの人力除雪作業でした。投げた雪を更に繰り越して遠くへ投げなければならないほど豪雪の年があったことも、ついこの間のことのように思えます。今では、会員の所有する大型の除雪機で除雪する時代になりましたが、今も昔も変わらないのは、窓を覆っていた雪がなくなり真っ暗な部屋に太陽の光が差し込んだ時に「えがったなぁ」と言って喜んでくれる満面の笑2009年クリスマス顔が見れることでしょうか。母子父子家庭の子供たちにサンタクロースプレゼントを続けているのも、その笑顔が見たいからかもしれません。
 我々のモットーは、ボランティア活動するにも自分たちが楽しみながらということでやってきました。無理をしないで、微力ながらも少しでも地域の方々の力になれればという概念は、50歳になった今でも変わりありません。
 今後も会員同士、本当の意味で気の許せる仲間として地域のため、自分自身のため活力ある親交と地域に根ざした活動を続けて行きたいと思っておりますので、今後とも、関係各位皆様方からのご指導ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

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「山鳩」30周年を迎えて

サークル「山鳩」 佐藤 稔

 「光陰矢のごとし」とはよく言ったものである。昭和54年に成人式を期にサークル「山鳩」が発足し、早30年の歳月が流れたのだ。昭和から平成へと年号が変わり、時代が大きく動きわれわれを取り巻く生活環境も大きく変わった。そんな中でサークルの活動を継続することが出来たことはとても喜ばしく、改めて良い仲間にめぐり合えたことと、会の先頭に立ち我々会員を牽引してくれた会長・事務局に感謝したいと思う。
 30年前のサークル結成当初に懐かし思い出がある。当時の鳥海町に統一劇場ふるさとキャラバン ミュー赤いコスモジカル「兄ちゃん」公演が持ち込まれたのだ。当時の金額で百万円近くの経費が必要であり、町の青年会を中心に「山鳩」も含め、受けるか否かを連日連夜話し合われた。最終的に当時の青年会長が赤字になったら車を売る(赤いコスモ)との覚悟で開催へと動き出した。チケットの販売には大変苦労したが、村内の方々の協力をいただき最終的には旧川内中体育館に千名以上の観客を集め成功裏に終えることができた。まさに統一劇場を取り上げた映画「同胞(はら統一劇場から)」を地で行くことになったのである。
 サークル「山鳩」はボランティアサークルとして続いてきたが、結成当初は青年団体活動だと思っている。この活動をとおして知り合った仲間、諸先輩の方々は今の自分にとって財産となっている。これからも無理せず和気藹々に「山鳩」を続けていきたいと思う。

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サークルのメンバーに感謝

サークル「山鳩」 村上 孝志

 30周年ですか…。その30周年をメンバーの皆と一緒に、健康な状態(仮)で祝うことができるのは全く幸せなことだと感じています。少し照れくさいですけれど…。
たとえば、もしかしたら、同じ地域に暮らしていながら全く面識のないメンバーも大勢いたかもしれない。そしてそれは、各々の人生にとってはたぶん何の障害にもならなかったのかもしれない。それでもせっかくの人生(大げさか)の限られた時間なのだから、出会いというものはすごく貴重な財産に成りうるのではないかと、当時はそんなことを考えもしないでいましたが、最近は妙に感じています。そして、結成の案を創造し、結成に尽力してくれた○○君や○○君などには、すごく感謝しています。本当ですよ(^_^)
同い歳であるから、人生の進む速度が、就職、結婚、子育て、間もなく隠居?と似通っていて、話が通じ合うのが嬉しかったし、自分を飾る必要を感じなかったので居心地がよく、30年も一緒にいてしまったのかもしれない。それでも、くつろぎの時間として自分の人生の少しの支えになるくらい、その存在は大きくなっている(意味不明?)
 いつの間にか、ボランティア団体として社会的に認識されるようになって、ボランティア活動をしているつもりでは無かった自分にとって、少し馴染めなかったけれど、いつの間にかそんな呼ばれ方をされることにも違和感を感じることが無くなっていたのは不思議な気もする。
 自分の性格からは、ボランティア活動などとは無縁であったあずであるが、メンバーたちはよほど暇だったのだろうか?それとも○○君と○○君の熱意だったのだろうか。
 あるいは、ネタがなかったとか?<(_ _)>何はともあれ、そんな時間を共有させてもらい「はばきぬき」と称しての一杯が何よりの楽しみなのは今も変わらないですね。
 自分の中では、たぶんボランティア精神などという高貴な精神は未だ成長せずですが、余力が有ったときは皆に混じって時間を共有し、結果として、微力ながら少しは貢献したぞと自己満足に浸って、美酒に酔うことが出来れば…と感じております。
 名前はあえて出しませんが、○○君や○○君、そしてメンバーの皆さん、感謝しています。今後も腐れ縁的に末永くよろしくお願いしますよ。

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サークル「山鳩」 佐藤 修栄

 サークル「山鳩」創立30周年おめでとうございます。  これからもサークル活動を末永く継続するために、身体を大事にしましょう。 (後継者も育成しましょう)
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鳩の行方が気になるんだけど…。

サークル「山鳩」 今野 優

 鳩山内閣が誕生した年に、サークル山鳩は30周年を迎えている。
 就職して3年後、家に帰る事になり、同級生から誘われるままバレーボールの練習に行き会員となってしまった。
 当時はバレーボール、駅伝、ボーリングとボランティアより体を動かして楽しんでいた事の方が多かった。
 集まっては飲み、飲む為に集まる、ポプラにはよく世話になったものだ。
 年齢も50代にさしかかり、彼氏彼女、車の話しから結婚、子供の話題に移り変わり、今では孫、老眼、血圧にメタボ、白い薄いの話しで盛り上がる。
ボランティアサークルがボランティアされない様、お互い健康には気を付けたいものだ。
 昔を思い出し、サークルで少しは体を動かす機会を作ってみてはどうだろう。
 数日前から我が家のベランダに鳩が住みついてしまった。両足にタグが付いていて、レースの迷い鳩だろうか、朝飛び立つものの夕方には帰って来る。
 糞害に悩まされてはいるが、妻も追い払う気はなさそうだ。
 いつになったら出て行くんだろうか。
 いろいろな鳩の行方が気になる。
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これからも成長する、サークル「山鳩」

サークル「山鳩」 赤石 幾子

あれから30年も経っていたのですね。 若かった私たちもおじいちゃん、おばあちゃんになっていてもおかしくない年になっていたんですね。私にも5歳になる孫がいます。しみじみ年月を感じてしまいます。 私は早く結婚をしたため一緒に活動できなくなってしまい、寂しい気持ちでいましたが、子育てが終わって、また参加できるようになってとてもうれしいです。そして、空白の期間などなかったかのように気軽に、また親しく皆さんが接してくれるので感謝の気持ちでいっぱいです。 ホジナシ、同級生、同じ年生まれのあつまりから友達の輪は大きくふくらんで、今では何処に行っても誰かしらサークル「山鳩」につながってて、そこでまた輪はふくらんで益々大きくなる。 サークル「山鳩」は、まだまだ成長します。 これからも、末永くよろしくお願いします。
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サークル「山鳩」創立30周年を迎えて思うこと…

サークル「山鳩」 佐藤 定樹

 昭和54年に成人式を迎える仲間でサークルを結成し、もう30年が経過してしまい今では50歳を迎えました。当時は鳥海村でしたが中学校が5校あり、同じ村内に住む同年齢であるにも関わらず、初めて会うメンバーがいることにビックリすると同時に、一抹の寂しさを感じたことを思い出します。これから同じ村に住んでいくのに何とか連携が取れないものか、何か面白いことができないか、村のために何かできないのか、そんな議論を経ながらサークル「山鳩」は産声を上げました。
 二十歳そこそこの若者たちが考えることなどたかがしれていますが、バレーボールや駅伝大会・青年会球技大会などへの出場などスポーツを通した交流からスタートし、機関紙の発行、一人暮らし老人宅の除雪奉仕作業、母子父子家庭の子供たちへのクリスマスプレゼント配布などのボランティア活動、そして最近では「世界のミフネ」こと、三船敏郎ゆかりの地としての地域活動へも参画しています。そして本年、30年という月日が流れ記念式典を開催することになりましたが、その陰には、家族の絶対的な協力が無ければ成し得なかったことを再認識している今日この頃です。
 私の妻はサークルのメンバーであり、私たちを含めサークル内で4組のカップルが誕生しました。当然ながら活動への理解はありましたので一緒に参加しましたが、子供が生まれてからは主に私だけが参加するようになりました。3人の子供が学校に入るようになると、自分の時間をつくるのに苦労するようになり、サークル活動も停滞期に入った時期があったように記憶しています。そして今は、子供たちにも手がかからなくなり、また昔のような活気のあるサークル活動が展開できるような環境になりつつあります。しかしながら、私の家族からは家庭のことを最優先するように言われており、それはそれで当然のことなのですが、今だからこそできることを実施するのも重要なことだと私は考えています。  戦前生まれのような柔軟性のない頑固者の私は、妻に対し「ありがとう」の言葉さえ照れくさくて言えない性格です。昨年、私たち夫婦が銀婚式を迎えたとき、結婚披露宴のビデオを探したら湿気によるカビが発生し、再生不能となっていました。私は、25年前の幸せな二人の姿を見たくて業者に依頼してDVDに保存してもらい、こっそりと一人で楽しみました。本当は家族全員で見たかったのですが、妻と子供が見たくないと言うことだったので…。実は繊細でシャイな性格かもしれない自分なのですが、それを見せたくないという逆の自分がいつも顔を出しているような気がします。いよいよ50歳を迎え、もう少し丸くなりながら自分という自分を見つめ直し、10年後を迎えたいと考えています。
 今は無き祖母(明治34年生まれ)から「人のために尽くせ」「損して得取れ」「恩はいつか返ってくる」…。そんな言葉を子守歌のように毎日聞かされていた私は、いつの間にか頭の中から消えなくなったように思えます。身体障害者の父と働き者の母からは農業を通して、「働く」という基本的な部分を教わりました。3人の子供たちからは、子育てをしながら自分を育ててもらいました。そして妻からは、しっかりと家庭を守ってもらったお陰で、私が安心して地域活動を続けることができました。私はサークル「山鳩」を始め、鳥海陸上競技協会、交通安全協会川内支部、伏見盆踊り保存会などの会計や事務局を担当しています。また、未だに草野球の選手を続けており、さらに飲酒の機会が多いため休み日に家にいることが少なく、妻とのコミュニケーションの時間は取れなかったように思われます。一人ひとりが一度限りの人生を悔いの無いように生きていくためには、周りの人間の理解がないと、と言うより、周りの人間に迷惑をかけないと不可能なのかもしれません。
 「妻へ…、これまでありがとう!そして、これからもず〜っとよろしく頼むよ」
 そして、サークルの仲間へ…。「いつも迷惑ばかりかけてスミマセン。これからも迷惑をかけると思うけど、仲良くやろうよ」
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サークル「山鳩」 佐藤 強喜

 
 数々の思い出の中で広報ちょうかいに掲載の文面である。
今までいろんな事を行ってきたがこの年だけは格別であった。
事情は分からないが母子家庭のお宅にサンタとして訪問したときである。
子供達全員がとても素直な子供達だった記憶がある。
 私たちも早50歳の年齢になり人生の荒波にもまれ、数々の試練や難題・苦労・子育て等に明け暮れている今の自分に余裕すら持てないでいる。訪問したとき、子供達の素直さ・笑顔・快く訪問を承諾して下さったお母さんに感謝を申し上げたい。
 何歳になっても素直な心を持つ人間になることが必要と50歳の節目において再度決心して、山鳩とともにこれからの人生を生きて行こうと思う。
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サークル「山鳩」の絆を大切に
サークル「山鳩」 佐藤 貴子

 サークル「山鳩」の誕生、それは忘れもしない成人式の会場でした。それ以来、ボランティア活動を中心に色々なことをしてきましたが、そのたびに喜びと達成感を味わうことができました。その繰り返しで、もう三十年もの月日が過ぎたことを思うと、とても感慨深いものがあります。私にとってサークルとメンバーは、かけがいのないものです。今までもそうであったように、これから先も変わることなく、共に笑い、支え合い、山鳩の歴史を築いて行けたらと思います。
 また、出会えたみんなとの絆を大切にしつつ、更には十年後、二十年後も記念の日を迎えることができるように、健康に注意し日々努力を重ねて行かなければと、改めて感じています。
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サークル「山鳩」に出会い感謝
サークル「山鳩」 真坂 稲子

 三十周年おめでとうございます。
 私は、一年遅れで入会したのですが、初めて参加したときの緊張感を今でも忘れることができません。
 その後は色々な行事に参加しましたが「とにかく楽しかった」の一言しか思い浮かびません。今まで会ったことも話したこともない人が多かったのですが、一人の友達ができれば、またその人の友達とも仲良くなる…というように、だんだんと輪が広がりました。そのときに知り合った友達とは、今も会えば気軽に声を掛け合うことができる、そんな人たちばかりです。
 このサークルと出会い、そしてその一員になれたことが本当に嬉しく、また有り難く思っています。
 これからも益々素晴らしいサークルでありますように…。
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変わりないもの、変ったもの
サークル「山鳩」 眞坂 國利

 先日、部屋を片付けていたら思いがけず、懐かしいものが出てきた。二十歳過ぎに参加した青年活動の研修会やセミナーの資料。それに、ガリ刷りの会報「山鳩」も混じっていた。その第3号に、30年前の自分が書き込んだ一文が載っていた。その内容は、収穫期を迎え豊作なのだが、余剰米、過剰米という話題となってしまうこと。米の消費拡大に努力しているものの食料の輸入が進み、米離れがさらに進んでしまうことが残念であると…。将来を展望することができない農業について、当時の素直な気持ちを著そうとして、かなり大上段に構えたものだった。あれから早や30年。農業、農村はがんばってはいるが状況は変わらず、なかなか好転できずにいる。
 若い頃、時間がたつのは今より遅く感じていた。しかし、歳を重ねるごとに時間の感覚が早くなったように感じる。同じ毎日の積み重ねなのに1週間が、1カ月が、そして1年が、過大に表現すれば一瞬にして過ぎ去るような感じがする。
 それでも、30年前の気概を持ち続け、時間と身体、家族と友を大切にしていきたいと思っている。皆さん、これからもよろしく。
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これまでの活動で感じたこと
サークル「山鳩」 高橋 喜平

 サークル「山鳩」の活動の一つである、冬の一人暮らし老人宅の除雪ボランティアに毎年のように参加しています。
 ある家のことでしたが、屋根全体が雪で覆われいて窓も雪で塞がれて暗く、気持ちまでもが暗くなるような状態の家もあり、一人暮らしのお年寄りには、さぞかし心配だったろうな思うと、サークル「山鳩」の活動も地域のために良いことをしているなあと、つくづく感じたこともありました。
 また、お年寄りの皆さんから喜ばれ、活動後に感謝の言葉を聞くと、これからも欠かさずに参加しなければと思っています。
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喜ぶ子供たちの笑顔が忘れられない
サークル「山鳩」 佐藤 正人

山鳩創立30周年にあたり、一言お祝いの言葉を述べたいと思います。
 このサークルは、鳥海町在住の同期の集まりですが、笹子・直根・川内地域と同期の人たちを知りつつ、共に親交を深めながら地域のために何か少しでも役立てればと発足したものと記憶しております。お陰様で私も、活動を通じ仲間に入れてもらい嬉しく思っております。
 発足当時のサークルは、山鳩の他に数グループあったと記憶しておりますが、今では山鳩だけになっております。山鳩が長く続いている一番の理由は、会長をはじめ事務局の尽力はもとより、同年齢という上下関係の無い思いついたことを気兼ねなく言えることだと思います。
 サークル活動としての印象深い思い出は、「みちのくプロレス」を地元で開催したことです。このときの記憶としては、出稼ぎ前の地域の人にいい想い出をさせたいと理由からの開催だったと思います。また、三船敏郎フォーラムや粟津號追悼映写会、ヤングジェネレーション研修会などの開催が思い出されます。また、ボランティア活動としては、一人暮らし老人宅の除雪作業だと思います。設立当時から実施していますが、当時は除雪されていない道路をスノーダンプをかついで30分も歩いて行ったこともありました。また、母子父子家庭の子供たちへのプレゼント配布では、喜ぶ子供たちの笑顔をいつも忘れることができません。
 最後になりますが、この活動をいつまでも続けられるよう健康に注意しながら、会員一丸となって頑張っていきたいと思います。
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